★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆カネックの裏ベストバウト【⑦】


★1983年5月6日(金)、福岡・福岡スポーツセンター(開幕戦)
第4試合
▽30分1本勝負
長州力(両者リングアウト、5分37秒)カネック△

【※】半年前にカネックを破り新UWA世界ヘビー級王者に就いて自信をつけて凱旋帰国して藤波に造反し、そしてつい1ヵ月前にその藤波を倒して新WWFインター王者となったばかりのIWGP決勝リーグ代表ではない革命戦士・長州と、来日直前に長州に敗れたばかりの藤波に敗れ、王座を手放しての参戦となったIWGP決勝リーグ代表のカネックとのIWGP番外戦的な一戦。
まさに藤波・長州・カネックのトライアングル構図が重なった時期の興味深い一戦となりました。
試合はカネックがトペを見せるもいかにも生中継に合わせるかのように5分で両リンで終了。
この試合の後日のTVマッチの大宮大会で長州&カーンvsホーガン&カネックが放送された試合では長州とカネックは見事にスイングしてたので、このシングル戦も面白い展開になったのでしょうか…それとも単なる顔合わせで終わったのか、興味が尽きません。
この試合のカネックのプエブラ製赤旧ラメ、金ふちどり、頬の模様が山羊のマスクと全身赤ラメにほどこされたコスチューム姿もまたカッコ良かったですよね。
何と言っても赤はカネックのトレード・カラーですからね。
オレはそうでもないのですが、カネックは赤が一番という方が結構いらっしゃったのは結構、意外でした。

☆カネックの裏ベストバウト【⑥】


★1983年1月9日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
◯カネック&ペロ・アグアヨ(2-1)アンドレ・ザ・ジャイアント&アブドーラ・タンバ●
①タンバ(ダイビング・ボディ・プレス➡️体固め、?分?秒)アグアヨ
②カネック(リングアウト勝ち、?分?秒)タンバ
③カネック組(レフェリーに暴行➡️反則勝ち、?分?秒)アンドレ

★1983年1月16日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
△カネック&ペロ・アグアヨ(2-1)?(1-1)?アンドレ・ザ・ジャイアント&アブドーラ・タンバ△
①カネック(反則勝ち、10分50秒)アンドレ
アンドレ(反則勝ち、?分?秒)カネック
③(両者リングアウト、6分15秒)
※③アンドレ(リングアウト勝ち、6分25秒)カネック?
…2通りの報道有り。

【※】この時のアンドレはメヒコで初のルード側として闘っています。
なのでカネック&アグアヨとはルード対決になるわけです。
前記の試合の怨念が積もってるのかして、この2連戦は燦々な試合と化した模様で、初戦でアンドレは大流血し、再戦ではカネック&アグアヨのダブル・トペ・スイシーダを受けたりカネックにボディ・スラムでぶん投げられたりしています。
このボディ・スラムのショットを掲載した当時のデラプロは衝撃的でした。。。
『カネック、遂に大巨人をぶん投げる』という見出しなみに心を踊らせたものです。
内心、子供心に…持ち上げた態勢から崩れて結局失敗したりしてないのかな?と勘ぐってみたりして。
翌年2月のシングル戦を見てもわかるように、アンドレはカネックに対してかなりセールしてくれますね。
カネックの実力を認めていたのでしょうか。
日本での不遇の扱いに憐れんでいたのでしょうか。
単に稼がせてもらってるテリトリーのエースだからヨイショしただけなのでしょうか。
おかげでハンセンやホーガンに体格的に全く敵わなかったカネックが、メヒコでやる時はアンドレに対して絶対の自信を持っていました。
また、カネックの赤旧ラメのマスクに対してロングタイツが赤ではなくオレンジというのも実に鮮やかで斬新で妙にカッコ良かったですね。

 

☆カネックの裏ベストバウト【⑤】


★1982年12月4日(土)、宮城・石巻市民体育館
第7試合
▽MSGタッグ・リーグ公式戦、45分1本勝負
◯ディック・マードック&マスクド・スーパースター(マードック=片エビ固め、8分41秒=アグアヨ)カネック&ペロ・アグアヨ●

【※】メヒコ最強コンビと、メヒコ嫌いのミスター・アメリカン2人組の闘いとなります。
この試合、当時のプロレス雑誌では一切報道されなかったのでどんな試合になったかは一切わからないのですが、当時の勢いある4人のプライドがぶつかったと思われる個人的に興味深い試合となっております。
カネックとマードック&スーパースターとのぶつかりはもちろんですが、盟友のアグアヨがどんな闘いを挑んだのが観てみたかったです。
マードックが負けん気の強いアグアヨの鼻っ柱を折るが如く、鼻にエルボーかましたり、マードックの顔あたりに照準を絞ったセントーンかましたりしてませんかね。

カネックはこのシリーズは前シリーズとは打って変わって凄く小ぢんまりとしていたので健闘は望めてないでしょう。
メヒコ嫌いの?マードック&スーパースターは一度もメヒコは行かなかったので、ルチャびいきの方々には本当に貴重な一戦だったと思います。

☆カネックの裏ベストバウト【④】


★1982年11月29日(月)、岐阜産業会館
第7試合
▽MSGタッグ・リーグ公式戦、45分1本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ(アンドレ=ヒップ・プレス➡️体固め、5分42秒=アグアヨ)カネック&ペロ・アグアヨ●

【※】この試合、どうやらアグアヨがアンドレに仕掛けてこっぴどく返り討ちを喰らった試合になった様子です。
当時のカネック&アグアヨは共に絶頂期で真のメヒコ最強コンビ。
プライドも随分と高かったと思われます。
アグアヨがデラプロのインタビューでメヒコでメヒコ・スタイルに合わせず好き勝手暴れるアンドレに腹がたっていたと発言していますね。
その理由で半ガチ的に仕掛けたのだと思いますが、アンドレは一笑に付した結果になったのだと思われます。
試合後にぐったりうなだれたアグアヨを担いで退場するカネックのショットがショッキングでした。
この日のカネックのプエブラ製、オレンジ旧ラメ、黄緑ふちどり、頬の模様がオンブレ・アギラ、オレンジのラメ仕様のショートタイツ&ロングタイツも珍しい色彩で印象的でしたね。

☆カネックの裏ベストバウト【③】


★1982年6月20日(日)、角田市ゆやす駐車場
第6試合
▽30分1本勝負
坂口征二(両者リングアウト、9分3秒)カネック△

★1982年6月24日(木)、北海道・室蘭市体育館
第8試合
▽45分1本勝負
坂口征二(両者リングアウト、8分53秒)カネック△

★1982年6月29日(火)、北海道・釧路市厚生年金体育館
第7試合
▽30分1本勝負
□カネック(反則勝ち、8分21秒)坂口征二

★1982年7月1日(木)、北海道・小樽市総合体育館
第8試合
▽45分1本勝負
□カネック(反則勝ち、7分25秒)坂口征二

★1982年7月4日(日)、兵庫・神戸市兵庫区新開地・◯楽館跡広場
第8試合
▽45分1本勝負
坂口征二(リングアウト勝ち、7分22秒)カネック■

【※】カネックが一番のピーク時に一番の好待遇を受けたシリーズ中にノーTV会場で実現した坂口との異例のシングル5戦。
通算成績はカネックの2勝1敗2分けとなりましたが、勝ち試合は反則で、負け試合はリングアウトというのが言いえて妙なところではないでしょうか。
この試合は当時のプロレス雑誌では一戦も触れられず、ただケロの日記に2人共頑張っていい試合してたような事が記載されてましたのでスイングはしないもののゴツゴツとしたマニアックな試合を展開したのではないでしょうか。
例えつまらない試合だとしても最強説を持つ坂口とピーク絶頂期のカネックとのシングル5戦なんてとても贅沢なカードですよね。
是が非でも観てみたかったですね。

☆カネックの裏ベストバウト【②】


★1981年12月5日(土)、福島・福島市体育館
第7試合
▽MSGタッグ公式戦、45分1本勝負
◯スタン・ハンセン&ディック・マードック(ハンセン=ウェスタン・ラリアット➡️体固め、10分30秒=マキナ)カネック&スペル・マキナ●

【※】当時、超絶頂期でイケイケのハンセンと、この年の初めにシンを破り、まさにピークを迎えようとしている成り上がり的なカネックが激突したマニアックな一戦。
試合はマキナが押さえたハンセンにカネックが正面式ドロップ・キックをぶち込んだり、マードックに脳天チョップを見舞ったり、カネックが正面からぶつかりハッスルするもマキナが敗れ轟沈。
この試合を報じた当時の月刊プロレスが亡き父に初めて買って貰ったプロレス雑誌であり、現在でも大切なオレの宝物です。
モノクロながらカネックの火の神のマスクが非常に際立ってカッコ良くてどうしようもない忘れがたい一戦です。

☆裏ベストバウト【①】


★1981年2月15日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽UWA世界ヘビー級選手権、時間無制限3本勝負
□《挑戦者》カネック(2-1)タイガー・ジェット・シン■《王者》
①シン(コブラ・クロー➔体固め、9分42秒)カネック
②カネック(ジャンピング・ネックブリーカー・ドロップ➔体固め、4分49秒)シン
③カネック(レフェリーを突き倒す➔反則勝ち、4分52秒)シン
※カネックが1年振りに王座奪回に成功。第6代王者となる。

【※】前年1980年1月にシンに敗れ王座陥落したカネックが1年がかりでレバンチャした一戦となります。
当時、日本でヘビー級のスーパースターのシンが日本ではJr.ヘビー級扱いのカネックに敗れ、王座転落するというちょっとショッキングな展開ですよね。
この試合で王座を移動させられるため苛立ってか、シンが試合前にマスコミをリングサイドから追い出して撮らせないようにしましたが、客席から撮影を強行した写真で構成された月刊プロレスはなかなか衝撃的でした。
試合はフライング・ネックブリーカー・ドロップをはじめとしたカネックの好攻撃ばかりが目立つ報道でした。
また、カネックはこの年の初めからプエブラ製のマスクを使用し始めて、この試合でシンから王座奪回して、まさにカネックの真の黄金期の始まりの一戦でもあります。
この試合と後日に来日した4.3後楽園大会で使用したプエブラ製の緑旧ラメ(草ラメ)、金ふちどり、頬の模様が山羊のマスクがオレのカネックの原点でもありまして、カネックの象徴として個人的に非常に思い入れ深いマスクとなっております。