★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆vsアントニオ猪木 シングル戦・生涯戦績

【★①】1979年4月22日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽NWFヘビー級選手権試合.時間無制限3本勝負
《王者》◯アントニオ猪木(2-0)カネック●《挑戦者》
①猪木(イス攻撃➡️反則勝ち、11分40秒)カネック
②猪木(ブレーン・バスター➡️体固め、7分50秒)カネック
※猪木が21度目の王座防衛に成功。

《※》前年の初来日時には藤波のライバル=Jr.ヘビー級選手だった事もあってか、タッグ戦を含め猪木とは未対決で終わっているので、このメヒコでのタイトルを賭けたシングル戦が2人の初対決になるんですね。

ストレートで負けさせている代償なのか、猪木が珍しい流血とショーマンっぽくて猪木が嫌いそうな技のトペ・スイシーダを受けてる2点は特筆すべき点でしょうね。


【★②】1979年6月4日(月)、松江市体育館
第7試合(セミファイナル)
▽MSGシリーズ決勝リーグ戦.45分1本勝負
アントニオ猪木(弓矢固め、4分39秒)カネック●

《※》MSG公式戦として実現した2度目のシングル戦はいわゆる秒殺でした。

しかもあの時代では既にフィニッシュ・ホールドとして成り立っていなかったボー・アンド・アローにて敗北だなんて。。。

ちなみにカネックは4月22日のトレオ大会&その直後の4月27日~6月5日のMSGシリーズの1 ヵ月半の期間に猪木のヘビー王座と藤波のJr.ヘビー王座に挑戦(2度)するという…なんとも摩訶不思議な記録を樹立させています。

あ、猪木のNWFヘビー級王座と藤波のWWF認定Jr.ヘビー級王座に挑戦した事があるのはカネックだけだそうですね。


【★③】1982年7月6日(火)、大阪府立体育会館
第9試合(メインイベント)
▽60分1本勝負
アントニオ猪木(卍固め、4分53秒)カネック●

《※》1年後に長年の壮大な計画であるIWGP大会が控え、その中南米代表としていち早く参加が決まっていたカネックをいいところを引き出す事なく秒殺するという燃える闘魂の狂おしい暴挙で有名な試合です…。

そうなった理由として猪木が重度の糖尿病にて本調子でなかったから早く終わらせたと定説になってますが、あの大会は生中継でしたので放送時間内に終わらせる目的もあったでしょうし(←改めて確認したところこの大阪大会は生中継ではなく録画中継でした。)、そもそも猪木はカネックに対してトレオでの初対決以外はすべてずっと酷い対応をしてましたからね。

それはカネックが初来日の際に最終戦をすっぽかした件で不快に思ってたでしょうし、マスクマン&メキシコの選手という事でショーマン・レスラーとして嫌ってたでしょうし、そもそも弟子のJr.ヘビーの藤波のライバルと対等に闘うわけにはいかなかったでしょうし、カネックの人気が同じタイプのマスカラスとは雲泥の差で集客力が無かったから嫌ってたでしょうし…

まぁ、どのタイミングでこのカードが組まれたとしてもすべて同じ内容&結果になってたでしょうね。


【★④】1983年5月23日(月)、岡山武道館
第9試合(メインイベント)
IWGP決勝リーグ戦、60分1本勝負
アントニオ猪木(バック・ドロップ➡️体固め、3分16秒)カネック●

《※》前年の試合と同様で、何も言うことが無いです。。。


【★⑤】1988年10月13日(木)、香川・丸亀市民体育館
第8試合
▽『闘魂復活七番勝負』番外戦.60分1本勝負
アントニオ猪木(卍固め、8分12秒)カネック●

《※》カネックが新日に参加した最後のシリーズになった時の試合で、坂口の代わりに実現した番外戦でしたね。

御大・猪木がいよいよ本格的に衰えてきた時期だったからなのか、試合時間が珍しく5分超るという。。。
でもやっぱり特筆すべき点はそれだけですね。。。