【★④】1984年9月30日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽UWA世界ヘビー級選手権、時間無制限3本勝負
《王者》□カネック(2-1)スタン・ハンセン■《挑戦者》
①ハンセン(ニー・ドロップ➡️リングアウト勝ち、5分44秒)カネック
②カネック(トペ・スイシーダ➡️リングアウト勝ち、5分5秒)ハンセン
③カネック(レフェリー暴行➡️反則勝ち、7分32秒)ハンセン
※2度目の王座防衛に成功。
《※》2度目のシングル対決。メヒコでは初シングル戦。
この試合のちょっと前に新日のシリーズに参戦してはJr.ヘビーのコブラ&小林邦昭にまで負けてるのに、メヒコでは反則ながらハンセンに勝利するという。。。
この試合を掲載した当時の週プロの身だしが、
「メヒコの英雄・カネック、地元じゃハンセンにも負けない!!」
…でしたね(笑)
ハンセンはハンセンでこの2ヵ月前に蔵前にて馬場に衝撃のピン・フォール負けを喫していた時期だったので、馬場に負けてカネックにも負けるなんて…と、ハンセンのイメージがややダウンしたという方も多々いらっしゃったのではないでしょうか。
ちなみにこの試合でラリアットを放ったというショットが掲載されてましたが、よく見ると左手が内側に写ってて、ラリアットじゃなくただのタックルかましてるだけだったことに腰砕けになった記憶があります。。。
【⑤】1985年1月27日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
◯カネック&ドス・カラス(2-0)スタン・ハンセン&ベビー・フェース●
①カネック(急所をロープに打ちつける➡️反則勝ち、8分39秒)ハンセン
②ドス(風車式バックブリーカー➡️体固め、5分8秒)フェース
《※》カネックが初めてリンピオに転向した試合でした。
前週にハンセンとシングルで対戦したドスを救出した流れでリンピオに転向という形でしたね。
この少し後に、この試合を収録した市販ビデオソフトを買ってもらいまして、メヒコでは人が変わったくらいに強いはずのカネックを楽しみにドキドキしていたところ…
「……日本でのカネックと何も変わりないじゃん」
と、驚愕しては…メヒコでは日本と一変して動きから技の豪快さも何もかもが違う猪木のような強いカリスマ的なカネックの姿をイメージしていたのですが、日本でダラダラした試合を展開するカネックのまんまなんですよ…
……あれっ?!
ま、少しは活き活きしていたのかもわかりませんが、既に鬼のようなカネック・マニアを自負していた自分には実に物足りなくひ弱に観えてしまったのでしょうかね。。。
後になってよくよく考えてみたところ、この試合はリンピオなわけですから、プロレスのセオリーとして正義のヒーローが悪役にやられてやられて…もうダメか…
…というところで反撃して最後は勝つ!!
というシチュエーションの試合なんだよなぁ…と理解してみたものの
やはりハンセンとのびっくりするような体格の差や力の差などで大きく見劣りするのは強烈な事実として受け止めるべき点でしょう。
当時のプロレス雑誌の片隅にもUWAが外交を盛んにして大成功したと言っても、体格の大きいアメリカ人相手にカネックをはじめとしたすべてのメキシカンが通用しない事がわかってしまった、とメヒコのマスコミの談話が掲載されてましたが、自分もその一言に限りなく同意します。
…悔しいけどもハンセンとホーガンと闘ってるカネックは本当に子供みたいに無力なことを実感してる次第です。
ま、カネックが強くないと思うのではなく…ホーガンはさておき、ハンセンはやっぱり本当に凄いんだなぁ 思ってる以上に本当に強かったんだなぁ と思うようにしている次第でした。
あと ハンセンはこの試合を含め カネックのトペを3回も受けてるんですが、
日韓のようなしこりがあってはメキシコを嫌ってすすんでメヒコには行かないアメリカ人選手が多いなか
ショー的要素が強いルチャ系の大技を受けるわ
全盛期に引退間際の馬場にフォール負けを献上するわ
セメントみたいな不穏試合をおこすこともないわ
ラリアットといういかにもプロレス的な技でプロレスの強さを世にアピールするわ
…ハンセンこそが真の『ミスター・プロレス』ですよねぇ。