★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆カネックの知られざる不穏試合②

さて、知られざるカネックの不穏試合シリーズ第2弾イッてみましょう!


今回紹介させて頂きますのは、前回の試合から10日後の試合になります。


その試合とは


【☆】1982年11月29日(月)、岐阜産業会館
第7試合
▽MSGタッグ・リーグ公式戦、45分1本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ(アンドレ=ヒップ・プレス➡️体固め、5分42秒=アグアヨ)カネック&ペロ・アグアヨ●

《☆マスク》プエブラ製、オレンジ旧ラメ、黄緑ふちどり、頬の模様=オンブレ・アギラ(外向き)を着用。



に、なります。


残念ながらこの試合の映像は無いのですが、この試合が掲載されてる当事のプロレス雑誌『別冊ゴング』と『月刊プロレス』、並びにこの第3回M.S.Gタッグリーグ戦の統括の企画で行われた『DXプロレス』に掲載されたアグアヨのインタビュー内容を観て不穏試合と認定した次第です。



ちなみに、この試合が不穏になった原因はアグアヨがインタビューのなかで


アンドレの野郎のチームに勝ちたかった。なぜなら最近はメヒコにもアメリカからたくさんの選手が来るようになったが、一番態度がデカいのがあの化け物だ。WWFヘビー級チャンプのボブ(バックランド)ですらメヒコに行けばメヒコのレスラーに敬意を表し、メヒコ流の試合に馴じもうとしていた。それなのにあの野郎(アンドレ)は小人の国に来たガリバーみたいなかおしていやがる。あんなバカでかけりゃ強いのは当たり前だろうが、よそ者のくせにナメきった態度をとられたんじゃおさまらん』


と語っていましたが、これが真相でしょうね。


試合はアンドレがヘッド・バッド→18文キックからのジャイアント・プレスにてアグアヨを圧殺したのですが


圧殺されたアグアヨが、帰りにカネックに担がれる写真も掲載されてるのですが、これなんかはアンドレに仕掛けて返り討ちされて力尽きたアグアヨをカネックが 「 やれやれ 」的に担いでいる感じがしますし、


他にも大の字に倒れたたままのアグアヨに対してアンドレが高笑いしてる写真があるのですが、これは仕掛けてきたアグアヨを返り討ちにしてやって 屁でもないわ 的に高笑いしてるのでしょう。


そしてこのシリーズが終わって年が明けたすぐの83年1月9日〜16日の8日間、アンドレがメヒコ襲来するのですが、ここで初日と最終戦のメイン会場のトレオでアンドレ&タンバvsカネック&アグアヨというカードが2連続で組まれては荒れに荒れたわけなのですが、



その理由は当然ながらこの試合でしてやられたアグアヨ、並びにカネックが復讐として仕掛けたのでしょう。。。


この2試合は本当に荒れまくった感が凄いんですよねえ。。。


結果的にカネックはこの82.11.29〜83.1.16の5週間の間に、不穏な試合を4試合もこなした事になります…!!!!


いやぁ〜 いろんな発見があって見方や価値観が変わっては面白さを増していく昭和プロレス!


これぞまさしく昭和プロレスの醍醐味の1つではないでしょうかネ!!



これは俗に言う錬金術とは違いますよね?!


錬金術とはあと付け的な理由等で価値観を高めていくわけで、自分がさす昭和プロレスの醍醐味とはこれまでとはまた違う見方で知られざる価値をプラスしているわけであり、過去の事実の一部を変に変えたりしてませんからネ!!

あ、でも、いろんななものに満たされなかった昭和という時代を生きてきて、それでもあの時代に生まれて良かったなぁ〜なんて思いに導かれる点で言えば



それは そういう意味では その点に関しては 紛れもなく錬金術ですよね…あい、すみません。。。