★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆カネックとの対戦歴表〜外人選手編①

⭕ルー・テーズ
60代後半の年齢にさしかかりながらもUWA旗揚げにて招かれて初代ヘビー級王者に任名されて若きエースのカネックの目標的な存在となる。ちなみにカネックに敗れて王座を奪われる前にも前哨戦でカネックや老兵のアンヘル・ブランコにも敗北を喫している。

⭕カール・ゴッチ
日本で知り合ったハン・リーのツテでメヒコに出入りし、プロレスを教えるかたわらで試合をこなしてるさなかにカネックとも幾度となく対戦している模様。

⭕ビル・ロビンソン
ロビンソンがメヒコ襲来した81年3月〜6月までに幾多対戦。ゴングが5月下旬にはシングル5連戦してカネックが5連勝したと度々報じているが(しかもすべてタイトル戦)、前哨戦でカネックが敗けた試合と最後のトレオでのカネックが勝って王座防衛した試合以外の証拠を見た試しが無いので本当かどうか不明です。カネックはメヒコでのロビンソンのプロレス教室にも参加し、この時の経験がなによりの財産となった事を後に語っている。

❌ジャック・ブリスコ
79MSGシリーズではタッグを組むも対戦は無し。

❌ローラン・ボック
81年末の第2回MSGタッグ・リーグ戦シリーズにて一緒になった事があるも、6人タッグ等で組んだり絡んだ事は皆無。しかしながら当時のプロレス雑誌の読者からの投稿写真にて通路側で他の選手の試合を観戦する2人の貴重なツー・ショット写真が掲載されてます!!

❌ウィリアム・ルスカ
何の接触も皆無。

⭕パット・パターソン
81年秋にパターソンがメヒコ襲来し、途中帰国したバックランドの代役としてカネックと一騎討ちし敗れる。同年末の第2回MSGタッグ・リーグ戦に参加で一緒になるも、パターソンの途中帰国によりカネック&マキナ組の不戦勝となり未対決となる。

アンドレ・ザ・ジャイアン
79春のMSG公式戦にて初対戦してから92年春まで長い関係を築く。

⭕タイガー・ジェット・シン
新日vsUWA対抗戦という形でシンが79年12月にメヒコ初襲来して以降1年ちょいに渡り王座をかけあいメヒコで抗争を展開する。

⭕スタン・ハンセン
日本では79MSG公式戦にて興味深いシングルが実現している他に、ハンセン&カネック共にピーク時と言える81年末にタッグ・リーグ公式戦で対戦実現しているのも乙。3度襲来しているメヒコでも毎回対戦し、84年にはカネックが反則ながら勝利して王座防衛に成功(うち、1本は貴重なリングアウト勝ちを収める)。

⭕ハルク・ホーガン
日本&メヒコにてシングルで2度、タッグで幾多も対戦。83IWGPシリーズのTVマッチでは2人のタッグが実現。ちなみにカネックとホーガンが組んだのは6人タッグを含め、後にも先にもこの1度のみ。

⭕ブルーザー・ブロディ
85IWGPタッグ・リーグ公式戦にて1度だけ対戦(結果はブロディがキングコング・ニードロップにてカネックをフォール)

⭕ディック・マードック
81年末と82年末、85年末のタッグ・リーグ公式戦にて3度対戦が実現。シングルは皆無。ちなみにマードックはカネックと日本でシリーズ参戦が一緒になった回数が7回で、アンドレと並んで最多の腐れ縁有り。

⭕マスクド・スーパースター
82年末と85年末のタッグ・リーグ公式戦にて2度対戦。シングル対戦は皆無。

アドリアンアドニス
82年末の第3回MSGタッグ・リーグ公式戦にて1度だけ対戦。シングル対戦は皆無。日本ではこの82年末と88IWGPチャンピオン・シリーズにて2度程、一緒になった事が有り。

⭕ディノ・ブラボー
82年末のタッグ・リーグ公式戦にて対戦。シングルでは83IWGP公式戦で2人の対戦が予定されていたが、ブラボーの帰国により未対決に終わる。

⭕アブドーラ・ザ・ブッチャー
ブッチャーが2度目のメヒコ襲来となった82年2月に初対戦し、最後のメヒコ襲来となる85年2月まで3年間に渡り抗争を展開するもシングルはブッチャーが避けた感じで実現せず。カネックはブッチャーをボディ・スラムやブレーンバスターで投げたりトペを見舞ったり、やりたい放題だった。