★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆ vsミル・マスカラス シングル生涯戦績②

【11】★1981年7月24日、アメリカ・ロサンゼルス・スポーツアリーナ
□ミル・マスカラス(デビット兄弟の乱入➡️反則勝ち、13分43秒)カネック■
《☆マスク》プエブラ製、赤旧ラメ、金ふちどり、頬の模様=山羊(角が長い初期ver.)を着用。


※カネックが結構なピーク時の貴重な一戦ですね。
こちらの試合は当時のゴング誌に掲載されております。


【12】★1981年12月20日、シウダ・ホワレス
IWAヘビー級選手権試合
□ミル・マスカラス(2-1)カネック■
①(両者リングアウト)
②マスカラス(急所蹴り➡️反則勝ち)カネック
※マスカラスが王座防衛。


【13】★1985年9月15日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽特別試合、時間無制限3本勝負
□ミル・マスカラス(2-1)カネック■
①カネック(セントーン➡️体固め、5分57秒)マスカラス
②マスカラス(腕固め、8分29秒)カネック
③マスカラス(アグアヨ乱入➔反則勝ち、10分55秒)カネック
《☆マスク》プエブラ製、銀旧ラメ、ワインレッド(小豆)ふちどり、頬の模様=アギラを着用。


※年間最優秀試合に選ばれたこの一戦は、同年5月にマスカラスがUWAと長期間の契約に至りメキシコに復帰したストーリーのピーク的な一戦でした。
カネックはUWA世界王者だったのですが、挑戦者という格下の扱いを嫌ったマスカラスのプライドでノンタイトル戦になったと言われてますね。
試合は最後、アグアヨが乱入し2人を襲ったのをカネックに助太刀したとみなされカネックの反則負けを宣告されるという。。。
一説には最初はカネックと仲を取り戻すために乱入し、本当にカネックに助太刀しての乱入だったのがカネックに受け入れられず結局カネックをも襲った…とも言われてます。
もしこれが本当ならカネック・ファンとしてはアグアヨとよりを戻してメヒコ最強コンビを復活して欲しかったなぁ。。。


【14】★1991年10月27日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
△カネック(1-1)ミル・マスカラス△
①マスカラス(腕固め、11分53秒)カネック
②カネック(リフトアップ・スラム➡️体固め、9分27秒)マスカラス
③(カネック、マスカラスの順に互いに急所にパンチを打ち合う➔両者反則、8分49秒)
【※】年間最優秀試合に選ばれる。
《☆マスク》アロン・カナレス製、青サテン、金ふちどり、頬の模様=山羊を着用


【15】★1992年8月15日㈯、神奈川・川崎市体育館
第6試合(ダブル・メインイベント第1試合)
IWA&UWA認定両世界ヘビー級選手権、ダブル・タイトル戦、60分1本勝負
IWAヘビー級王者》△ミル・マスカラス(マスカラスのボディ・プレスをカネックが交わしレフェリーに誤爆した後に、カネックのセントーンをマスカラスが交わしてレフェリーに誤爆➡️両者反則、11分51秒)カネック△《UWA世界ヘビー級王者》
※それぞれ王座防衛に成功。
《☆マスク》ケンドー製、赤ラメ、金ふちどり、頬の模様=アギラ、模様の隙間が黒色を着用。


【16】★1993年8月22日、プラザ・デ・トロス・モヌメンタル・モンテレイ
▽時間無制限3本勝負
□ミル・マスカラス(2-1)カネック■
①マスカラス(ブレーン・バスター➡️片エビ固め、6分59秒)カネック
②カネック(セントーン➡️片エビ固め、4分17秒)マスカラス
③マスカラス(急所パンチ➡️反則勝ち、11分25秒)カネック
《☆マスク》アロン・カナレス製、上部が水色サテン、下部が赤サテン、金ふちどり、頬の模様=はにわに似たデザインを着用。


【#】2人のシングル戦はこれ以降も幾度かおこなわれてますが、晩年という事と詳細がイマイチわからないという事で省かせて頂きますね、すみません。