★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆カネックのマスク&コスチューム遍歴一覧

★1973年3月、カネック元年、サントに似せたデザインのアントニオ・マルティネス製の黄色のマスクを着用。

■1973年、上記の紫を基調としたマスクをお披露目。

イメージ・カラーが紫になる。

★1974年、上頭部が銀旧ラメ、下頭部が紫ジャージ、目頭が丸く、目のカットがアーモンド・アイ型の黄色のふちどりのアントニオ・マルティネス製のマスクを着用。

★1975年1月、上頭部が銀旧ラメ、下頭部が金旧ラメ、紫ふちどりに。

★1976年、目のカットがアーモンド・アイから三日月型になる。

トレード・カラーがこの頃から赤色(エンジ色)になる。

主に金旧ラメ・赤ふちどりか赤旧ラメ・金ふちどりの配色。

★1977年、目頭が角張る。

■1977年の一時、ロペス一世製のマスクを着用。

★1978年3月頃、頬に模様が入るようになる。 

■1978年8月、頬の模様が多種になってくる。

■1978年9月、頬の模様=火の神初披露。

★1979年4月に2度目の来日を果たした際にUWA世界ヘビー級王座を持参してファンに売買した気配アリ。

初のプライベート用マスク持参(アントニオ・マルティネス製、赤旧ラメ・金ふちどり・頬の模様=79.6.7((蔵前)vs藤波戦タイプ・口開き・チャック式)

■同時期にファンにマスクを売ってた際の値段はマスクによって違いがあって、1枚、1万〜1万5.000円だったらしい

★1980年7月頃、マスクにグリーン色が配色されるようになり、トレード・カラーが赤と緑になる。

一番最初は金旧ラメに黄緑ふちどり、頬の模様=火の神のマスクか。

■1980年夏〜秋、頬の模様=ひまわりがお披露目される。

■1980年いっぱいをもってアントニオ・マルティネス製を終わる。

★1981年に入るとアレハンドロ・ロドリゲス製ことプエブラ製になる。当初は赤系。

マスクの喉元にステッチが入るのは81〜83年作成まで。

■1981年2月 、緑旧ラメが初披露。

■1981年4月、UWA世界ヘビー級王座を持参し、観客に初披露も滞在中にファンに売った様子。

■1981年4月下旬 、ショート・タイツがラメ仕様になる。

■1981年7月 、紫にもピンクにも見えるカラーの旧ラメを初披露。

頬の模様=ククルカン(外向き)初披露。

■1981年8月、頬の模様=オンブレ・アギラ(外向き)初披露。

■1981年9月、頬の模様=チャクモール初披露。

■1981年末、ピンク旧ラメ初披露。

★1982年3月、頬の模様=アギラ初披露。

頬の模様=火の神が終焉。

■1982年8月、頬の模様=ククルカンが多用化されるようになる。

■1982年9月、ロング・タイツがラメ仕様になる。

■1982年11月 、青旧ラメをお披露目。

■1982年8月〜赤旧ラメ、金ふちどりのマスクが多用化される。ククルカン(内向き)➔チャクモール➔アギラ➔山羊

★1983年10月〜、青シルク、銀ふちどりのマスクが多用化される。ククルカン(外向き)➔アギラ➔チャクモール

1984年4月、紫旧ラメを着用。

1984年夏 、自身のコール時にスタン・ハンセンのテキサス・ロングホーンのポーズを初披露。

1984年6月24日、UWA世界ヘビー級王座が新しいデザインに変わる。

1984年末、銅旧ラメをお披露目。

★1985年、左手首にテーピングをするようになる。

■1985年夏、黒旧ラメお披露目。

■1985年11月頃 、頬の模様の隙間にカラーが入るようになる。

■1985年いっぱいで旧ラメがほぼ終焉する。

★1986年、ほぼすべて新ラメになる。

膝あてのデザインが一新される。

両手首にテーピングがほどこされる。

★1988年、秋  ラ・フリア製を併用するようになる。

■1988年いっぱいをもってプエブラ製が終焉。

★1989年、フリア製がオリジナル・メーカー一本化になる。

★1991年、トルーカ製ことアロン・カナレス製も使用開始。

★1992年、目頭が弱冠丸くなる。

■1992年、チョンボことケンドー製も使用。

★1994年、一時ゴム製のマスクを着用。

■1994年、目頭が少し離れ、本格的に丸くなる。

★1997年、一時ウンベルト製を使用。

☆マスク破り

さて、流血に継いでマスク破りの裏側の話しなんですが


流血と同じくマスク破りも破られる側が自ら破く、あるいは多大なる協力をして破かれる展開に持っていく事は皆さんもご存知かと思います。


以前マスク・マニアの方に、マスクが破かれる試合では自分のマスクにあらかじめ切り目を入れていると聞いた事があったのですが、カネックのかなりのドアップ映像がないものでいまだ確認できた試しはありません。


ただ、有名な82.10月&11月の初代タイガーvs小林邦の2連戦では、やはりタイガーがカミソリらしきもので自らマスクをカットして破いているのが確認できますね。


あらかじめマスクに切り目を入れるというのは十分にうなづけるのですが、ふちどりの方が濃いマスクの場合は相当確認しにくいですよね。。。

☆流血のトリック〜カネックの事変

プロレスの流血が、流血する側がカミソリで自らの額をカットして流血する、あるいはレフェリーかセコンドによってカミソリでカットされて流血する仕組みというのを初めて知ったのは1988年4月の事でした。


エスエル出版社からこっそり発売されてた一連の暴露本を偶然に見つけ読んでしまったんですね。


プロレスの具体的な裏側を知らされたあの春は本当に悲しかったなぁ。。。


さて、そんなプロレスの不正流血なんですが、ビデオを見返してもやはり流血する側が自らカットするか、レフェリー&セコンドがカットするのが通例なんですが


オレ達のカネックに関しては…流血させる側がカミソリでカットして流血させてるんですよ。


参考の映像の試合は1978.3.17(大垣)での藤波vsカネックと、1981.4.23(蔵前)藤波vsカネックになるのですが、大垣での一戦なんかはカネックがショート・タイツに手を突っ込んでなにやら取り出して右手に持って、藤波の額を掴んで噛みつきながらカットしている様子が露骨に映ってますし


81年の蔵前での素人による生撮影映像では、藤波が自らカットした直後にカネックが追い打ちしてカットして、直後にショート・タイツにしまい込む様子が確認できます。


流血させる側のカネックがカットするという…なんとも摩訶不思議な光景であります。


他の事例を観た事ないのですが、皆さんはご存知でしょうか…?


カネックが独特で、自流でやっていたのか?はたまたメキシコでは流血させる側がカットするのが常識だったのか?


その真意をオレは知りたい…。。。


ちなみに流血する側が自らカットすると知った時は大変驚いたのですが、なんでもこの方が上手くいくとの事らしいです。。。


79.4.22(トレオ)での猪木vsカネック戦でも猪木が流血するのですが、映像を見る限り猪木が自らカットしてますね。

☆カネックの語録集.17

『 そう言えば昨年(81年9月)、ボブ(・バックランド)がメヒコに来た時にオレに挑戦すると言ってスッポカしていきやがった。

アブドーラ(・ザ・ブッチャー)も同じだ。

あの2人はどうも気に食わない。 』

☆カネックの語録集.16

『 (リック・フレアーを指して)



あの腰抜け野郎か!!

(82年)9月にメヒコにあいつが来ることになっていたので、ルッタロースがセニョール・フローレスを通じてオレを貸してくれと言ってきたんだ。

ところがどうだ、あの野郎はメヒコに何時間もいないでトンズラしやがった。

メヒコの町が恐くて、メヒコのリングに上がれるか。 』

☆カネックの語録集.15

『 (UWAのタッグ・タイトルは取り損ないましたね。)


ああ、あれか。

もともとオレはシングル・プレーヤーだからタッグではオレの本領は十分に発揮できない場合があるからな。

特にあのタイトルに固執する気はない。

しかし、あれも金ヅルの一つと考えれば、チャンスをもらってアタックしてもいい。

パートナー?

アグアヨ、ワグナー、ベビー・フェース、この3人だったら誰でもOKだ。 』