☆カネックのあの技にまつわるエトセトラ

カネックのオリジナル技で忘れてならないのがサイド・バスターですよね。



サイド・バスター…相手をサイド・スープレックスのように持ちあげ投げかけ、途中で自らの体を浴びせるように、アバランシュ・ホールド雪崩のこどく叩きつけ落とす技であります。



ハンセンのラリアットや猪木の延髄斬りのように、この技が出たら決まる!!というようなフィニッシュ・ホールドではなく、ほとんど仕留めた相手を仕上げとしてたたみ込むための見せ技的な
フィニッシュ・ホールドとして多用してましたよね。



例によってあの技を使い出したのはいつなのか 個人的な記憶で語らせて頂きますと、82年3月にメヒコでのエンリケ・ベラとの一戦にて使用しているショットが当時の月刊プロレス誌に掲載されてますね。


あ、違う違う!


81年12月8日の蔵前での初代タイガーとのシングル戦でも使ってましたネ!!



ちなみにTV戦では85IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ開幕戦、5月10日の福岡国際スポーツセンターでのカネック&ヒロ斎藤vsザ・コブラ&星野 勘太郎戦にて星野を決めて勝ってますね。


この技の直前に腰砕けのバック・ドロップを決めていったんフォールの体勢に入りながらも解いて起こして、やはり仕上げとしてこのサイド・バスターを決めて終わってますね。


ちなみにカネックがバックドロップを決めてフォールの体勢に入って解いた時に、カウントを叩いてたミスター高橋が3カウント叩く素振りで、ん?的な面倒くさそうな表情してましたよね。


さっさと終わらせたかったのでしょうね(笑)



確かこの時のマッチメイカーはミスター高橋氏のはずですが、あれあれ?フィニッシュ・ホールドについては打ち合わせして決めておいてなくてカネックにお任せしていたのかな?


それともカネックがちょっとしたブック破り的な事をやらかしたのかな?



以上、どうでもいいような謎でありました!

☆カネックのあの技にまつわるエトセトラ

ちゃっかりパクってモノにしながら、とても非力な技として、他にラリアットがあげられますよね。


カネックのあのラリアットは本当にどーしようもなくしょぼかったですよね(笑)


ラリアットは言わずもがなピンからキリまで様々な選手達が使ってきたわけですが、正直、カネックほど非力で下手くそなラリアットは見た事がありませんでした(笑)


相手の喉元に 軽く ポン って あてるだけでしたからね⁉


あんなの、腕が細い女子プロの選手のラリアットの足元にも及ばないレベルでしたからね!!


ちなみにカネックがラリアットを使う流れは、ラリアットで相手を場外へ落としてトペ・スイシーダを決めるための技として使ってましたよね。


ちなみにカネックがラリアットを使い始めたのはいつなのか?個人的な記憶で言いますと、82年10月くらいにメヒコでのドス・カラスとの試合にてラリアットを決めてるショットが月刊ビッグレスラーに掲載されてるのですが、おそらくこの頃だと思います。


同年の6月のシリーズに来日した時には使ってるのを一度も観てませんよね…?



きっかけは前年の81年に新日に2度来日した際に、2度とも一緒になったハンセン、…からの、そのハンセンが新日を去ったのをきっかけにハンセンのラリアットをパクったアックス・ボンバーを使いはじめたホーガンに触発されたのがきっかけだったのでしょうかね…?

☆カネックのあの技にまつわるエトセトラ

あと ちゃっかりパクってモノにした技でいうと


ニール・キック ですよね!


いわずもがな前田日明からパクったのでしょうけども、カネックのニール・キックは誰がどう見てもしょぼかったと思われるのですが、


ずっと使い続けて定着しましたからね。


このカネックのニール・キックから【何事も継続が大事】だという事を学んだ気がします。


カネックがニール・キックを使いはじめたのはいつなのか、個人的に調べてみたところ87年の正月のシリーズで使ってるんですね。

だとすると86年の途中くらいから使うようになったのかもわかりません。


86年というとカネックは4月のシリーズに来日してまして、この時、新日に業務提携という形で前田が帰ってきてるので、このシリーズで前田との対戦は皆無なのですが、観戦してインプットして帰国した後に使いはじめたのかもわかりませんね!

☆カネックのあの技にまつわるエトセトラ

カネックが駆使する技のなかでカネックならではのオリジナルな技が幾つかあるんですよね。


例えば 手首をロックしてのアルゼンチン・バックブリーカー、通称(というかゴングが称しているのですが)マヤ式アルゼンチン・バックブリーカーだとか。



リフトアップして、そのままシュミット式バックブリーカーに落とすリフトアップ・バックブリーカーだとか。



また、後の90年代前半から半ばにかけて恐ろしいまでの女子プロレス対抗戦ブームを巻き起こすきっかけとなった93.4.2横浜アリーナでの伝説の北斗vs神取戦にて、神取が北斗にスリーパー・ホールドを決めたままスイングしてみせて以来、神取のフェバリット・ホールドの1つに定着したスイング・スリーパーという技がありましたが、あの技なんかは


…81年末にスペル・マキナとのコンビで参戦した第2回MSGタッグ・リーグ戦シリーズの、12.1愛知での、vs藤波&初代タイガーのTV戦にて、カネックが初代タイガーコブラクラッチというか変形スリーパーを決めたままスイングして回してましたよね!


あの技…スイング・スリーパーが日本プロレス界に定着する11年半前にカネックは既に使っていたわけです。



あとは88年秋に全日に2度目の来日を果たし、そのまま全日に常連外人として定着したダニー・クロファットが多用していた技で、相手を肩車に担いで、そのまま自分も前方に回転して叩きつける技があったのですが、(すいません、名称を忘れてしまいました。)あの技なんかも カネックは84年夏のパキスタン遠征にてvs小林邦昭とのTV戦にて披露してますよね。


初代タイガーとキッドの間でかけあったりして盛り上がりを魅せた吊り天井ロメロ・スペシャルが日本プロレス界に定着したのは、81.12.8蔵前での初代タイガー戦にてカネックが使用して注目浴びたのがきっかけになった気がしてるのは自分だけでしょうかね…?!


カネックってなかなかの隠れた偉業を達成してますよねぇ!!

☆カネックのお気に入りマスク&コスチューム③

さてさて今回も引き続いてカネックのベスト・ドレスについてイッてみましょう!


今回は、1985年3月3日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノスで実現したカネック vs ペロ・アグアヨ戦にて使用していた出で立ちになります!


その試合での出で立ちは以下になります。



《マスク》
プエブラ製、銀旧ラメ・緑ふちどり・頬の模様=山羊

《ショート・タイツ》
緑ラメ仕様

《ロング・タイツ》
緑ラメ仕様

《膝あて》
銀色

《シューズ》
銀色



という出で立ちなのですが、これが単純に……めちゃめちゃカッコ良いんですよ!!


理屈抜きでイイ!

まさに理屈なんて要らない!!


どんな感じか、言葉で表してみますと《いぶし銀》よりも華やか、かつ渋カッコ良い…言うならば《まぶし銀》的な表現にでもなりますでしょうか


とにかくカッコ良いんです!!

とにかくお気に入りなんです!!



プロレス・ファンになりたての頃はカネックやマスカラス、ドスもマスクの色が生地の方がカラフルでふちどりが金か銀の配色が大好きだったのですが、


年齢を重ねていくにつれて感性が段々とシックになってきたのか、ある時期からは生地が金か銀、または銅色で、ふちどりがカラフルな配色の方が大好きになってたんですよ。


なので上記の出で立ちは最高峰レベルで大好きなんですよ〜。



ちなみにこの試合は当時の週刊ゴングで写真は掲載されず、この年の年末の週刊ゴングにメヒコ・マット界の1年間の統括的な感じのショットの1枚として掲載されてまして、さらには1988年3月にアグアヨに敗れてタイトルを奪われた試合を報じた際の試合写真を、間に合わなかったのかしてこの85年3月3日の試合の写真をこぞって掲載したんですよ。


この他にも数点 掲載されてますね。


ちなみに、この85年3月3日のこのシングル戦はオレのなかで物凄く大事な一戦となっておりまして、よくゴングのマスコミの人を中心に、会場で個人撮影した試合映像ってのが昔から流出してましたけども、その類いでこの試合映像があればどうしても観てみたいのですが、おそらくは無いでしょうねぇ。。。


1991〜2年頃にかUWAもTV放映が始まったことで、92年頃に発売されたと思われるカネック特集とアグアヨ特集の市販ビデオ・ソフトのなかにカネック&イホ・デル・サントvsペロ・アグアヨ&フィッシュマンの試合映像がほんの数分ほど収録されてますが、最初は90年代に入ってからのカネックvsアグアヨの映像なんて…と価値有り的な意識は全く持って無かったのですが、


……よくよく噛み締めてみると、カネックとアグアヨが対決している映像なんてのは、この91〜2年以降の対戦を含めて他にはほとんど無い事に気付きまして、いまでは大変貴重がってる次第でいます。

☆カネックのお気に入りマスク&コスチューム②

カネックのお気に入りマスク&コスチューム第2弾になります。


今回はいかにも普通といか王道的なカラー、赤にまつわる




83年5月1日(トレオ)、vs藤波戦

同年5月6日(福岡)、vs長州戦

同年5月8日(姫路)、vsワンツ戦



らで着用した、プエブラ製、赤旧ラメ、金ふちどり、頬の模様=山羊のマスク


赤ラメのショート・タイツ

赤ラメのロング・タイツ

膝あてが金

シューズも金



という出で立ちになります。



ちなみに赤というカラーは個人的に小さい頃からどうしても好きになれなかった色だったんですよ。


理由は、血をイメージして気分不良になりかねないだとか、あと昔って赤鉛筆とか赤ボールペンとか赤白帽子だとか…黒以外の色となると何かと赤で、面白味が全くなくてヘキヘキしてたんですね。


昭和って、娯楽から何から何まで現在と比べて…本当に何も無い!とは言いませんが、本当に限られてましたからね!


それでもって学校は現在と違って休みは日曜だけだし、大人の仕事も週休1日で、店はコンビニなんて無くて、18時になればほとんど閉店するし、何もかもが満たされない時代で。


大好きなプロレスでさえも主役は常に決まっていて、テレビや雑誌の中心をつかさどるのは決まってそんな主役達であり、カネックのような現在で言う陰キャラが大々的に扱われる事はまず無い時代だったから


…もぉ常に満たされなくて満たされなくて、いつ何時足りともストレスだらけの日々・毎日でもがき苦しんでいた時代でした。



ありきたりの物では満足できやしない…


そんなオレの心を満たしてくれる人も、物も、そして時代も到来する事なんて生涯無いんだろなぁ。。。



…そんな悲壮な想いをかきむしっては逃げ出したくて泣きたくて泣きたくて…



ま、そこまで酷く感じてたわけでもなかったのでしょうけども、オレの言い分に同調してくださる昭和世代の方も多々いらっしゃるのではないでしょうか。



話しを戻しますと、そんな時代にとくに日本では陰キャラ的存在で、不本意なポジションに置かれていた我が愛しきカネックが



…よりによって面白味もクソも無い《赤》を基調としたマスク&コスチュームを身にまとっては格下選手の相手をさせられたうえに連日負せさせられている姿を見せつけられるのがたまらなく嫌だったんですよねぇ(悲)。



ですが、上記の3試合の期間に着用した赤い出で立ちの時はなにか妙に無性にひかれましたね。


そのハッキリした理由が1つありまして、それは上記のうちのO・ワンツ戦の試合が、ゴングの増刊号のIWGP公式戦の全試合を当時はビックリするくらい画期的なオール・カラーにて総特集したんですが、


そのゴング増刊号にオール・カラーで掲載された5.8vsワンツ戦での赤いカネックのすべてのショットが異常にカッコ良かったんですよね。


まずカメラ・アングルが良くて、カネックがやられてる姿も攻めてる姿も良かったし


ノーTVマッチの会場だったのでバック(観客席)が暗いのですが、逆にこのおかげで光が変に明るくカネックのマスクに反射しなくて暗光りとでも言いましょうか…


実に渋い良い輝きにて赤色が、いや、カネックのマスクの赤旧ラメが異常にカッコ良くいい感じに写り映えしてるんですよ!


あともう1つ大事な点が、カネックのマスクの被り具合が全体的に下におもむき、カッコ良い被り方になってた&カッコ良いマスク顔になってた!という点が実に大きかったすね。


その1週間前のトレオでの藤波戦がカラーで掲載されてるゴングでは何もトキめかないし、マスクの被り具合がカッコ良くないんですよ。


カネックにこだわりが無い方でも、この2つを比べて見て頂ければオレの言い分に頷いてくださるのではないでしょうか。



そもそも《赤》ってよくよく噛み締めてみれば…カネックのイメージ・カラーなんですよね!!


昔は各選手にイメージ・カラーがあって、それを大事にしてて、カネックは赤をイメージ・カラーにしている事すら認識していませんでした(汗)


マスカラスのアドバイスにて81年からプエブラのマスクを使用するようになってから、それはそれは鮮やかな色とりどりの輝かしい世界感を放ってくれてたことで忘れてましたが、それ以前は、本来はカネック=赤だったんですよね。


そんなこんなでプロレス・ファンになって40年、カネック・ファンになって約40年にして最近ようやく赤色が大好きになりまして、筋トレやる時などあえて赤いTシャツを着ては、赤いマスク&コスチュームに包まれたあの時のカネックになりたくて、なれなくて…



嗚呼… 夢… 夢… 夢…で 今日も日が暮れる…



なんて 長渕剛の曲『RUN』を思い出しては いままさに『RUN』のあの壮大な物哀しいギター音に包まれて オレの心はいまにも泣けてきそうでございます!

☆カネックのお気に入りマスク&コスチューム①

さてさて皆さん的にカネックのマスク&コスチュームでいつの、どんな色合いのマスク&コスチューム姿が心に残ってますでしょうか。


個人的にめちゃめちゃ気に入っているのが、1985年に行われたIWGPタッグ・リーグ戦シリーズにドス・カラスと参戦した際に、終盤で着用したマスク&コスチュームがシックでカッコ良くて妙に気に入っては、かなりどころではなく最高峰くらいにベスト・マスカラ&コスチュームとなっているんですよ。


それはどんなマスク&コスチュームかと問うならば…



マスクがプエブラ製、銅旧ラメ、黒(のエナメル)ふちどり、頬の模様=アギラのマスクで



銅ラメのショート・タイツ

銅に黒が入り交じったラメ模様のロング・タイツ

膝当てが銅(金色?)

シューズが金色



という出で立ちなんですが、皆さんは認識されてますでしょうかね…?


このマスク&コスチュームでメディアに掲載されてる試合は、テレビ・マッチは無いし、カラー写真が掲載されてる雑誌は当時の週刊プロレス&ゴング&ビッグレスラー&ファイト&ザ・プロレス…すべての誌面において皆無なんですよ。
 


ちなみに白黒では幾つかありまして


☆12.6(両国)カネック&ドスvs星野&越中が、週プロに


☆12.7(松阪)IWGPタッグ・リーグ公式戦、ブロディ&スヌーカvsカネック&ドスがゴングに


☆12.10(愛知)IWGPタッグ・リーグ公式戦、カネック&ドスvsケリー・ツインズが週プロ&ゴング&ビッグレスラーに掲載されております。


あとは、最終戦の12.12(仙台)でブロディがボイコットして藤波が猪木から初めてフォール勝ちした優勝戦、藤波&木村健vs猪木&坂口の試合後に外人勢がリング上にあがって表彰式がおこわれた際に、上記のマスクを着用(コスチュームはすでに着替えてありTシャツ&ジャージ・ズボン姿)してるシーンがわずかながらテレビに映り、各週刊誌にもカラーで掲載されてます。


また、後の2002年にベースボール・マガジン社から発売されたムック誌で1978.3.30蔵前での藤波戦をボイコットして敵前逃亡した件の真相を初めて公の場で語ったインタビューが掲載されてる『プロレス異人伝』で、カネックの日本での活躍を振り返るショットの数々が掲載されてたなかでこのマスク&コスチュームで試合した1985年12月6日、両国でのカネック&ドスvs星野&越中から越中にフライング・ボディ・アタックを決めてるショットが掲載されてましたが、これを見つけた時は心底嬉しかったなぁ!!


マスクが金じゃなく銅ラメっていうのが非常に乙な点でありまして、これが実に渋くて、木戸修さんの代名詞のいぶし銀ならぬ《いぶし銅》って感じで、絶妙に上品で品位高く、美しくカッコ良いんいですよねぇ。


ま、最初はあまりパッとしなくて着目してなかったのですが、雑誌を振り返り見てたらハマり込んでいつの間にかめちゃめちゃ気に入ってた次第でした。

あと頬の模様がアギラなんですが、個人的にアギラのマスクはあまり好きでなかったのですが、この1985年は9.15トレオでのvsマスカラス戦を筆頭にカネックが妙にアギラのマスクを多々、着用しており、なんか段々と好きになっていったきっかけでもありました。