uwacampeon’s blog

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆もういくつ寝るとカネックの誕生日

もういくつ寝ると誕生日ぃ〜。


はい、もういくつ寝るとカネックの誕生日ですね。

ちなみに今年でカネックは68歳になります。


70歳説とかありますがまだ68歳ですよ。


1950年生まれ、1952年生まれ、1954年生まれ等々、いろいろな説があるみたいですけども どうやら1954年生まれが正解みたいで


昔にオレの友人にカネック本人がそう言ってたそうですから。



ちなみにカネックが日本で誕生日を迎えた事があるのは、1982年6月19日と1988年6月19日のたったの2回なんですね。


82年の時は前日が蔵前での飛竜十番勝負・第4戦としてvs藤波戦で引き分け、当日は神奈川・伊勢原でメイン・イベント6人タッグマッチ・3本勝負、猪木&藤波&木村健vsアンドレ&カネック&スコット・マギーというカードで2−1で敗れたものの1本も負けブックを飲まされておらず、88年は後楽園で小林邦昭とのシングルにて結果はコーナーに突進したところをかわされて回転エビ固めに丸め込まりれてのピンフォール負けを喫しております。


この88年6月19日は元々は越中 詩郎&山田 恵一vsカネック&ドクトル・ワグナーJr.のカードが決まってて、しかもテレビ放送用カードだったんですよね。


楽しみにしてたのに結局は新日特有の土壇場でのカード変更のあおりを喰っては小林邦昭に負けたうえにテレビにも放送されずじまいという。。。




…せっかくのカネックの誕生日なんだからさあ

頼むよ 新日ぃっ!!💢




なんてやきもき怒りまくってたあの頃は純なウブな少年の私でした。

☆カネック的 日本のプロレス・メディア寸評

唐突ですが今回はプロレス・メディアでカネックを良くとりあげてくれたのはどこだ?!的な話しを展開させて頂きますね。


皆さんは80年代当時のプロレス月刊誌を拝見されてましたでしょうか。


自分はもれなく愛読しておりました。


ただ当時は子供なゆえ、各雑誌を毎月(正式には月2回)購入するお金が無かったために立ち読みで終わらせていたケースが圧倒的でしたが。


そのやり残した事…80年代の各プロレス月刊誌を収集する事を10年前から少しづつはじめたんですよ。


それでいま現在はさすがにフルコンプリートまではいきませんが90〜95%コンプする事に成功しました。


対象にしたのはカネックが取り沙汰されはじめた77年半ば以降の


月刊プロレス

DXプロレス


月刊ゴング

別冊ゴング


月刊ビッグレスラー

別冊ビッグレスラー

月刊ザ・レスラー


月刊エキサイティングプロレス

別冊エキサイティングプロレス


週刊ザ・プロレス


週刊ファイト


週刊プロレス


週刊ゴング


週刊ビッグレスラー



に なります。



それでそれらを検証しまして どこのメディアがカネックを良く扱ったか…?と言いますと、ズバリ 



ベースボール・マガジン社系になります。



ベースボール・マガジン社系、つまり月刊プロレス&デラックスプロレスですね。


メヒコに強いゴングは意外にもカネックを冷遇してたきらいが見えます。


個人的な見解としまして、その理由を考察してみると


ゴングの売りはマスカラスだったので、そのライバルを大々的に扱えない


また、ゴングはマニアックなゆえに日本で有名なカネックを差し置いて未だ見ぬルチャ・ドールに重点を置いた


単にカネックが根強い人気が皆無なゆえカネックを大々的に扱っても雑誌の売れ行きに比例しない


ゴング首脳陣達のおメガネにかなう選手ではなかった


…などなどが考えられます。



ビッグレスラーなんかは幾度となく『本誌はカネックに厳しい』と記載してますね。


が、ビッグレスラーはカネックを多々扱ってますし、なによりカネックの良い表情を撮ったベスト・ショットがめちゃめちゃ多いんですよ。


月刊ビッグレスラーの1983年2月号なんてカネックvsドスが巻頭カラー4ページで始まって続いてカネックvsジョージ高野をカラー4ページで掲載し、更にモノクロではvs藤波戦を2ページ扱うという…カネック・マニアにとっては伝説の号なんかもあったりします!!


あとビッグレスラーとエキサイティングプロレスは大手のゴングやベースボール・マガジン社にて掲載した試合のボツになったようなショットで構成された感じの雑誌作りでした。


フリーライターがゴング&ベースボール・マガジン社に持ち込んでそのおこぼれを安く買っていたのでしょうか…?


まあ マニアックといえばマニアックなんですが、…本当に酷い作りが多々あるんですよね。


ピンボケ・ショットも普通に掲載してますし、見切れてたり、フラッシュがたいてないようなショットだったり…大手のゴング&ベースボール・マガジン社ではあり得ないですよね?!


それで何でベースボール・マガジン社がカネックを良く掲載したパターンが多かったか考察してみますと、


ゴングよりもマニアックでない


メヒコではゴングがマスカラスならば、ベースボール・マガジン社はカネック推しがベストと考えた



などの理由からカネックを良い扱いに導いたのではないでしょうかね。


マスカラスの次に有名なメキシカンはカネックしかおらず、(ドスでは弱すぎる)それ以下の選手を大々的に扱っても仕方ないし、メキシコの部で日本でも知名度の高いカネックは商業的にベストだったはずですよね。


あと声を大にして言いたいのはマニアックといえば 週刊ファイト です!


週刊ファイトはカネックに対しても本当にマニアックな記事がめちゃめちゃ多いんですよ。


81年春にカネック&ダイナマイト・キッドの対談インタビューを掲載したり、84年夏の来日時にもインタビューを、85年末にはカネック&ドス・カラスのインタビューを掲載したり!


他にも日本では文字でしか報じられなかったメヒコでのマスカラス&カネックvsシン&コロセッティや81ね4月のカネック組vsバックランド組などの試合もファイトだけ写真入りで報じてたり、カネックのミニ・インタビューだとかマニアックなプチ情報だとか 本当に飽きないんですよ。


さすがにターザン山本氏やGK金澤 克彦氏を育て出した名門メディアです。


ただ、同じプロレス・マスコミの後に新日のブレーン、フィクサーと成り上がったゴマシオこと永島 勝司が、試合内容やフィニッシュ・ホールドを取材しないでテキトーに書いていたとコクッてるあたり、メヒコの試合詳細の信憑性が薄いのが痛いんですよねぇ。。。


あと東スポが出していた週刊ザ・プロレスもかなりのマニアックな実に面白い紙面でしたよ。


カネックに対しても週刊ファイトに匹敵するくらいマニアックな記事、かつカネックの良い記事が多いです。


以上、今回はちょっと長くなりましたが カネックに対する各メディアの寸評でした。


これから各プロレス雑誌のバックナンバーを集めようという方に、あくまでカネック目線でアドバイスさせて頂きますと



①推しはベースボール・マガジン社系のデラプロ&月刊プロレス 

②推しは週刊ファイト

③推しにビッグレスラー系

次点に週刊ザ・プロレス


に、なりますでしょうか。


メヒコに強い週刊ゴングも流石な秀逸なのですが、いかんせんカネックのピークを過ぎた84年5月という遅くに創刊されたのでランキングから外れてしまいましたが、84年5月に以降のカネックの詳細を知りたい方には超絶オススメです!!


かくいう自分は週ゴンっ子であります!



とりいそぎ参考までに。


ではでは。

☆ミル・マスカラスとのコンビを組んだ試合データ

【①】★1980年3月2日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
◯ミルマスカラス&カネック(2−1?)タイガー・ジェット・シン&コロソ・コロセッティ●
《☆マスク》アントニオ・マルティネス製、金旧ラメ、赤ふち、頬の模様=?を着用。


【②】★1981年7月31日、アメリカ・ロサンゼルス・スポーツアリーナ
▽60分1本勝負
◯ミル・マスカラス&カネック(体固め,分秒)ジョン・デビットソン●&リック・デビットソン
《☆マスク》プエブラ製、紫旧ラメ、金ふちどり、頬の模様=ククルカン(外向き)を着用。


【③】★1985年6月25日、アレナ・アフィクション・デ・パチューカ
▽時間無制限3本勝負
△ミル・マスカラス&カネック(1-1)ペロ・アグアヨ&フィッシュマン△


【④】★1992年8月20日㈭、大阪・万博お祭り広場
第6試合(メインイベント)
▽タッグマッチ、60分1本勝負
ミル・マスカラス&◯カネック(カネック=ダイビング・ボディ・アタック➡️体固め、7分40秒=S・ウォリアー)スーパー・インベーダー&サモアン・ウォリアー●
《☆マスク》ケンドー製、赤(新)ラメ、黒ふちどり、頬の模様=オンブレ・アギラ(外向き)、模様の隙間が水色ラメを着用。



【※】90年代前半以降は幾度となく組んでるはずですが、詳細がイマイチわからないのと晩年という事で省かせて頂きますね。

☆ vsミル・マスカラス シングル生涯戦績②

【11】★1981年7月24日、アメリカ・ロサンゼルス・スポーツアリーナ
□ミル・マスカラス(デビット兄弟の乱入➡️反則勝ち、13分43秒)カネック■
《☆マスク》プエブラ製、赤旧ラメ、金ふちどり、頬の模様=山羊(角が長い初期ver.)を着用。


※カネックが結構なピーク時の貴重な一戦ですね。
こちらの試合は当時のゴング誌に掲載されております。


【12】★1981年12月20日、シウダ・ホワレス
IWAヘビー級選手権試合
□ミル・マスカラス(2-1)カネック■
①(両者リングアウト)
②マスカラス(急所蹴り➡️反則勝ち)カネック
※マスカラスが王座防衛。


【13】★1985年9月15日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽特別試合、時間無制限3本勝負
□ミル・マスカラス(2-1)カネック■
①カネック(セントーン➡️体固め、5分57秒)
②マスカラス(腕固め、8分29秒)
③マスカラス(アグアヨ乱入➔反則勝ち、10分55秒)
《☆マスク》プエブラ製、銀旧ラメ、ワインレッド(小豆)ふちどり、頬の模様=アギラを着用。


※年間最優秀試合に選ばれたこの一戦は、同年5月にマスカラスがUWAと長期間の契約に至りメキシコに復帰したストーリーのピーク的な一戦でした。
カネックはUWA世界王者だったのですが、挑戦者という格下の扱いを嫌ったマスカラスのプライドでノンタイトル戦になったと言われてますね。
試合は最後、アグアヨが乱入し2人を襲ったのをカネックに助太刀したとみなされカネックの反則負けを宣告されるという。。。
一説には最初はカネックと仲を取り戻すために乱入し、本当にカネックに助太刀しての乱入だったのがカネックに受け入れられず結局カネックをも襲った…とも言われてます。
もしこれが本当ならカネック・ファンとしてはアグアヨとよりを戻してメヒコ最強コンビを復活して欲しかったなぁ。。。


【14】★1991年10月27日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
△カネック(1-1)ミル・マスカラス△
①マスカラス(腕固め、11分53秒)カネック
②カネック(リフトアップ・スラム➡️体固め、9分27秒)マスカラス
③(カネック、マスカラスの順に互いに急所にパンチを打ち合う➔両者反則、8分49秒)
【※】年間最優秀試合に選ばれる。
《☆マスク》アロン・カナレス製、青サテン、金ふちどり、頬の模様=山羊を着用


【15】★1992年8月15日㈯、神奈川・川崎市体育館
第6試合(ダブル・メインイベント第1試合)
IWA&UWA認定両世界ヘビー級選手権、ダブル・タイトル戦、60分1本勝負
IWAヘビー級王者》△ミル・マスカラス(マスカラスのボディ・プレスをカネックが交わしレフェリーに誤爆した後に、カネックのセントーンをマスカラスが交わしてレフェリーに誤爆➡️両者反則、11分51秒)カネック△《UWA世界ヘビー級王者》
※それぞれ王座防衛に成功。
《☆マスク》ケンドー製、赤ラメ、金ふちどり、頬の模様=アギラ、模様の隙間が黒色を着用。


【16】★1993年8月22日、プラザ・デ・トロス・モヌメンタル・モンテレイ
▽時間無制限3本勝負
□ミル・マスカラス(2-1)カネック■
①マスカラス(ブレーン・バスター➡️片エビ固め、6分59秒)
②カネック(セントーン➡️片エビ固め、4分17秒)
③マスカラス(急所パンチ➡️反則勝ち、11分25秒)
《☆マスク》アロン・カナレス製、上部が水色サテン、下部が赤サテン、金ふちどり、頬の模様=はにわに似たデザインを着用。


【#】2人のシングル戦はこれ以降も幾度かおこなわれてますが、晩年という事と詳細がイマイチわからないという事で省かせて頂きますね、すみません。

☆ vsミル・マスカラス シングル生涯戦績①

【①】★1977年12月?日、アレナ・リバータ
IWAヘビー級選手権試合(EMLLヘビー級選手権試合?)、時間無制限3本勝負
《王者》◯ミル・マスカラス(2-1)カネック●《挑戦者》
①?
②?
③マスカラス(フライング・ボディ・アタック➡️体固め)カネック
※マスカラスが王座防衛に成功。
《☆マスク》アントニオ・マルティネス製、赤旧ラメ、金ふちどり、頬の模様=無しを着用。


※おそらくこれがシングル初対戦。
この模様は当時の月刊プロレス誌にカラー掲載されております。カネックはまだ頬に模様が無いマスクで初々しさが滲み出ています。


【②】★1978年6月4日?、14日?、アレナ・ソチミルコ
▽時間無制限3本勝負
△ミル・マスカラス(1-1)カネック△
①マスカラス(フライング・クロス・アタック➡️体固め)
②カネック(フライング・ネック・ブリーカー・ドロップ➡️体固め)
③(両者反則(無効試合?))
《☆マスク》アントニオ・マルティネス製、赤旧ラメ、金ふちどり、頬の模様=唐草模様、模様の隙間が黒色を着用。


※2度目のシングルは同年3月に日本で敵前逃亡なる事件をおこし地元メキシコで3ヵ月間試合出場停止を喰らったはずなのですがその期間に行われているのに注目です。
3ヵ月の試合出場停止とはもしかしたらメイン・サーキットのみ出場停止だったのでしょうか…?
はたまた地方のプロモーターが利益欲しさにカネックを勝手に使ったのでしょうかね…?
ちなみにこの試合は当時の月刊プロレスに掲載されております。
日本遠征で盗んだジャンピング・ネックブリーカー・ドロップを使っている点に注目です。


【③】★1978年9月24日?11月25日?、パラシオ・デ・ロス・デポルテス
IWAヘビー級選手権試合、時間無制限3本勝負
《王者》◯ミル・マスカラス(2-1)カネック●《挑戦者》
①カネック(体固め、14分3秒)
②マスカラス(体固め、4分33秒)
③マスカラス(急所蹴り➡️反則勝ち、5分21秒)
※マスカラスが王座防衛に成功。
《☆マスク》アントニオ・マルティネス製、金旧ラメ、赤ふちどり、頬の模様=火の神を着用。


※3度目の対決はカネックの黄金時代幕開けとなる、UWA世界ヘビー級王者に就いた直後頃に大会場で実現しております。
カネックはマスクの頬の模様が火の神のマスクをおそらく初使用した試合になります。
惜しくは当時のプロレス月刊誌に未掲載という事であります。
ガッデム!!


【④】★1979年月4月12日、アレナ・アパトラコ
▽時間無制限3本勝負
◯ミル・マスカラス(2-1)カネック●
《☆マスク》アントニオ・マルティネス製、金旧ラメ、赤ふちどり、頬の模様=?を着用。


【⑤】1979年10月10日、アレナ・ソチミルコ
▽時間無制限3本勝負
□ミル・マスカラス(2-1)カネック■
①?
②?
③マスカラス(反則勝ち)


【⑥】★1979年11月10日、アレナ・ソチミルコ
▽時間無制限3本勝負
◯カネック(2-0)ミル・マスカラス●
①カネック(急所蹴り➡️ダイビング・ボディ・アタック➡️体固め)
②カネック(レフェリーに暴行⇨反則勝ち)
《☆マスク》アントニオ・マルティネス製、赤旧ラメ、金 ふちどり、頬の模様=?を着用。


※この試合が2人の対戦で唯2となるカネックの勝ち試合になります。
しかもなんとストレート勝ちをおさめるという…!!
ちなみにマスカラスが着用したマスクはこの直後に来日する79最強タッグ開幕戦で使用した銀旧ラメに黒ふちどり、ストライプ模様が入ったのと同タイプの紐式マスク(78.9仙台でのvs鶴田戦で使用したマスク?)で闘ったと思われます。


【⑦】1979年12月22日、アレナ・ソチミルコ
▽時間無制限3本勝負
△ミル・マスカラス(無効試合)カネック△
①マスカラス(反則勝ち、12分43秒)
②カネック(反則勝ち、6分19秒)
③(無効試合、9分37秒)
《☆マスク》アントニオ・マルティネス製、金旧ラメ、赤ふちどり、頬の模様=鷲を大きく描いたようなvsテーズ戦タイプのを着用。


※同年同場所にて10月&11月の決着戦的な3度目の対戦になります。
が、無効試合に終わります。
ちなみにカネックは19日にvs長州、22日にvsマスカラス、23日にvsシンと異例のシングル3試合をこなしております。


【⑧】★1980年4月12日、アレナ・アパトラコ
▽時間無制限3本勝負
□ミル・マスカラス(2-1)カネック■


【⑨】★1980年5月1日、アレナ・コルティホ
IWAヘビー級選手権試合、時3本勝負
◯ミル・マスカラス(2-1)カネック●


【⑩】★1980年6月?日、アレナ・ソチミルコ
▽時間無制限3本勝負
□カネック(2-1)ミル・マスカラス■
①マスカラス(ブレーン・バスター➡️体固め)
②カネック(体固め)
③カネック(マスク剥ぎ➡️反則勝ち)
《☆マスク》アントニオ・マルティネス製、金旧ラメ、赤ふちどり、頬の模様=2種類目を着用。

☆続・カネックの日本におけるタイトル戦 

以前にカネックが日本でこなしたタイトル戦のデータを記載させて頂きましたが、新日以外でのデータを記載するのを忘れてました。

すみません。



【④】★1992年8月15日、川崎市体育館
第6試合(ダブル・メインイベント第1試合)
IWA&UWA認定両世界ヘビー級選手権、ダブル・タイトル戦、60分1本勝負
IWAヘビー級王者】△ミル・マスカラス(マスカラスのボディ・プレスをカネックが交わしレフェリーに誤爆⇨カネックのセントーンをマスカラスが交わしレフェリーに誤爆➡️両者反則、11分51秒)カネック△【UWA世界ヘビー級王者】
※それぞれ王座防衛に成功。
《☆マスク》ケンドー製、赤ラメ、金ふちどり、頬の模様=アギラ、模様の隙間が黒色を着用。

※カネックにとってこの来日が初の新日以外の団体への参戦となったシリーズでの一戦でした。
この試合は大方の予想、並びに自分もてっきりカネックの負けブックだと思ってたので引き分けという結果には正直驚かされました。
マスカラスは半年前に久々に来日して再評価されてましたしね。
この試合で引き分けという事もあるし、マスカラスとタッグを組んだ試合ではマスカラスではなくカネックがフォールをとるなどW☆ingで初めて正当な良い扱いを受けた…とはもっぱらの声ですが、自分は納得いきませんでしたねぇ。。。
何故ならば、売り出し中とはいえあきらかに格下のアイスマンと両リン、同じく売り出し中のジェイソン・ザ・テリブルにも開幕戦のタッグ戦に続き最終戦のシングル戦でもマスク破られたうえに流血までさせられて両リン引き分けという…。
アイスマン&ジェイソン共に団体の目玉として売り出しているのはわかるのでピン・フォールでなくともアイスマンにはリングアウト勝ち、ジェイソンには反則勝ちくらいの扱いを受けても差し支えはなかったのではないでしょうか。
この2試合+開幕戦に納得いってないんですよねぇ。
しかしながらこのマスカラスとのシングル戦&コンビを組んだ試合、いずれもケンドー製のしょぼいマスクだったのですが、パッと見た時の感じは『プエブラ製?!』と思わさせるなかなか豪華な感じを受けさせて頂きましたね。
ちなみにこのマスカラスとのシングル戦で使用したマスクをマスク業者が買い取った時のやりとりで、カネックが『これはマスカラスとの試合で使用したやつだから5万円だ』と言い張り、ケンドー製のマスクに泣く泣く5万円支払って買い取ったというエピソードもなかなか乙であります。



【⑤】★1994年7月15日(金)、埼玉・熊谷市民体育館
第5試合(セミファイナル)
▽UWA世界ヘビー級選手権、60分1本勝負
《王者》◯カネック(原爆固め、14分30秒)ジェイソン・ザ・テリブル●《挑戦者》
※王座防衛に成功。
《☆マスク》アロン・カナレス製、銀&赤のゴム性質の生地、銀&赤ふちどり、頬の模様=はにわに似た柄を着用。


※この試合は上記の92年8月にW☆ingで抗争を展開した両者の決着戦になりました。
2年の月日を経て舞台はWingからIWAジャパンと団体名が変わった舞台で実現しました。
フィニッシュは日本では2度目となる?ジャーマン・スープレックス・ホールドになったわけですが、実際に生観戦した人の話しではダラダラしたジャーマンで、ブリッジも完璧には程遠いしょっぱいジャーマンだったそうです。。。
カネックのジャーマンって自分の頭をバック・ドロップというかジャーマン投げにもってく感じみたいな頭位置でやるんですよね。
だからきっちりブリッジ出来ない様な感じを受けてたのですが、どうやら当たってたみたいです。  
ちなみにこのシリーズは初代IWA認定ヘビー級王者を決めるトーナメントが開催されたシリーズでありまして、このトーナメント2回戦でもカネックvsジェイソンが行われて、こっちの試合は胴締め裸締めでカネックが勝利したのですが雑誌にワン・ショットすら掲載されないという痛い珍事にあってしまった試合であります。
まぁ 多団体時代でしたし そんな注目されてた試合ではありませんでしたし 別途に同試合のタイトル戦も行われたので理解は出来るのですが、トーナメントの試合でもあったのでワン・ショットでいいから 白黒でいいから掲載して欲しかったなぁ。。。

☆カネックの十八番の正式名称

言わずと知れたカネックの十八番といえば


そうです、フライング・ネックブリーカー・ドロップですね。


あの、見てる側の者の首までブッ飛ばしそうな打点の高い圧巻も圧巻、大圧巻な昭和プロレスの名優ならではの銭のとれる技のひとつではないでしょうかね。



ここでこのフライング・ネックブリーカー・ドロップの他の有名な使い手を挙げてみますと

ジャイアント馬場、マスクド・スーパースターになりますでしょうか


他にはアニマル浜口と下田 美馬ぐらいなものでしょうか。


ここで詳しく追求してみますと馬場さんのは相手まで走って決める事から正しくはランニング・ネックブリーカー・ドロップになり、


スーパースターのはちょっと浮いてから決める事からフライング・ネックブリーカー・ドロップになり、


そして我がカネックはジャンプしてから決めるのでジャンピング・ネックブリーカー・ドロップになるわけなのです。


馬場さんのはランニング・ネックブリーカー・ドロップと称されてるのは有名ですね。


ちなみにかの古舘伊知郎さんは新日のテレビ戦実況中継でカネックのをジャンピング・ネックブリーカー・ドロップと呼んでたのは流石としか言いようがありません。