★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆カネック年表 1982年

★2月からメヒコ襲来したドン・コルレオーネとの抗争を展開し、王座防衛に成功。

★2月28日、2度目のメヒコ襲来となるA・ブッチャーとタッグで対戦し、マスクを破られるもトペをかますなど大いに追い込むも反則負けを喫する。

★3月中旬、D・コルレオーネとのマスク剝ぎ戦に勝利し、マスクをとる(正体はトニー・ロコ)。

★3月下旬、B・アレンを挑戦者に迎え撃ち、王座防衛に成功。

★5月初旬、メヒコ入りした長州との抗争が勃発。

★5月中旬、メヒコ入りしたアンドレと抗争、ハンディキャップ・マッチなどを展開する。

★6月18日〜7月8日の新日のサマー・ファイト・シリーズに5度目の来日を果たす。開幕戦の蔵前にて飛竜十番勝負・第4先週にて藤波と一騎打ちし、両者リングアウトで引き分ける。

★6月下旬〜7月上旬、坂口と密かな抗争を展開し、シングルで5戦し、反則ながら2勝1敗2分けと勝ち越す。

★8月1日、B・フェースとのタッグで挑んだUWAタッグ王座決定戦・決勝にて長州&浜田組に敗れ王座を逃す。

★8月5日、ナウカルパンにて長州に敗れ、王座転落。

★8月22日、タッグながらブッチャーと対戦し、またも反則負けを喫する。

★9月26日、トレオにて長州の持つUWA王座に挑戦し、見事奪回し、第8代新王者となる。

★同時期、ロング・タイツがラメ仕様になる。

★10月、G高野とのシングル戦に勝利(タイトル戦かどうか不明)。

★10月、新たなパートナーとしてP・アグアヨと本格的に組むようになる。

★11月19〜12月10日、新日の第3回MSGタッグ・リーグ戦シリーズに参加し、6度目の来日を果たす。

 

☆カネック年表 1981年

★1月、マスクのメーカーがアントニオ・マルティネスからプエブラになる。

★2月15日、トレオにてシンから1年振りに王座奪回。第6代新王者となる。

★3月15日、S小林を相手に王座防衛に成功。

★3月22日、B・アレンを相手に王座防衛に成功。

★4月3日〜4月23日、新日のビッグ・ファイト・シリーズに参加し、3度目の来日を果たす。

★4月23日、シリーズ最終戦の蔵前での藤波との一騎打ちにて反則勝ちする。

★4月下旬、メヒコ初襲来のB・バックランドとタッグで初対戦。

★同時期、ショート・タイツがラメ仕様になる。

★5月1日、トレオにて藤波を挑戦者に迎え、1−1から反則勝ちで王座防衛に成功。

★5月17日、トレオでB・ロビンソンとのノンタイトル戦にて敗北。

★5月31日、トレオでB・ロビンソンを挑戦者に迎え、1−1から逆片エビ固めでの完全勝利にて王座防衛に成功。

★7月、アセシノとのマスク剥ぎ戦にて勝利し、素顔にする。

★7月、ロサンゼルスに進出。

★7月24日、ロサンゼルス・スポーツ・アリーナにてマスカラスとのシングル戦はデビッドソン兄弟の乱入にて無効試合に。

★7月31日、先週の流れでマスカラスとタッグを組みデビッドソン兄弟と対戦し、勝利。

★8月9日、タッグながらメヒコ初登場のS・ハンセンを迎え撃ち、反則ながら勝利。

★9月上旬、2度目のメヒコ襲来となるB・バックランドと抗争を展開し、シングルが予定されながらもバックランドの急遽帰国により代わりにパターソンと対戦し、王座防衛に成功。

★9月下旬、3度目のメヒコ襲来のアンドレとタッグで連日抗争を展開する。

★11月19日、新日の第3回MSGタッグ・リーグ戦シリーズにスペル・マキナと共に参加。アンドレ組、ハンセン&マードック組、猪木&藤波組らと死闘を展開。

★12月8日、蔵前にて初代タイガーと一騎打ちし、あわやタイガー初黒星か?!と迫り引き分ける。

 

☆カネック年表 1980年

★2月15日、ネサワルコヨにてシンとの前哨戦を行う。

★2月17日、トレオにてシンに敗れ王座転落。ここから1年間スランプに入る。

★2月、ソチミルコにてソリタリオとのシングル戦に敗れる。

★3月2日、トレオにてマスカラスとのコンビでシン&コロセッティに勝利。

★3月9日、トレオでコロセッティとの敗者髪切り戦にて勝利し、坊主にする。

★6月、ソチミルコにてマスカラスとのシングル戦に反則ながら勝利する。

★7月4日、短期間ながらUWAへ転戦した佐山と抗争。

★8月31日、UWAへ初の本格参戦を果たしたアンドレと連日の抗争を展開。

★10月19日、初のメヒコ襲来を果たしたB・アレンと抗争を展開する。

★11月9日、アレンとシングル戦を展開する(結果はカネックの勝ち、引き分け、無効試合の3通りの報道有り。)

☆カネック年表 1979年

★3月、ティニエブラスとの抗争が勃発。タイトル戦で完全勝利。

★4月22日、トレオでの新日vs UWA対抗戦にて猪木のNWFヘビー級王座に挑戦し、ストレート負けを喫する。

★4月27日〜6月7日、新日の第2回MSGシリーズに参加し、2度目の来日を果たす。

★9月29日、ソチミルコにてティニエブラスの再挑戦を受け、完勝にて退け王座防衛に成功する。

★10月10日、ソチミルコにてマスカラスとのシングル戦にて反則負け。

★11月10日、ソチミルコにてマスカラスとの再戦にて2-0のストレート勝ち。

★12月19日、新日vsUWAの対抗戦にて長州とシングル戦で勝利する(タイトル戦かどうか不明)。

★12月23日、新日側の選手としてメヒコ入りしたT・J・シンの挑戦を迎え撃ち、反則ながら勝利し王座防衛に成功する。

☆カネック年表 1978年

★1月15日、D・ワグナーの持つUWA世界ライトヘビー級王座に挑戦し、見事に新王者となる。世界王座を初戴冠。

★3月3日〜3月30日、新日のビッグ・ファイト・シリーズに参戦し、初来日を果たす。

★同時期、マスクに頬の模様が入るようになる。

★3月17日、大垣にて藤波との前哨戦でカネックの日本でのベストファイトと称されるほどの派手なファイトを繰り広げ両者KOとなる。

★3月30日、蔵前で決まっていた藤波とのWWF Jrヘビー級戦をすっぽかす。いわゆる敵前逃亡事件。理由は膝の怪我に対応してもらえなかったため、他の外人選手からの嫌がらせや、藤波との試合で負けたらマスクを脱ぐよう一方的に告げられたためなど言われている。

★4月〜6月、メヒコ帰国後、日本での試合ボイコットの出場停止処分を受ける。

★6月初旬、謹慎が明け本格復帰を果たす。

★6月中旬、メヒコ入りしてたカーンとのコンビでマスカラス兄弟と対戦。マスカラスとシングルでも対戦し引き分ける。

★6月20日トルーカにてドスに破れ、UWA世界ライトヘビー級王者から転落。いよいよ狙いをヘビー級王座に定める。

★8月27日、デポルテスにてL・テーズの持つUWA世界ヘビー級王座に再挑戦し、見事に第2代新王者となる。カネック時代の幕開けとなる。

★9月中旬、デポルテスにてヘビー級王者となって初のマスカラスとのシングル戦。結果は反則負け。

★10月、カーンを相手にUWA世界ヘビー級王座の防衛に成功。

★12月中旬、ドスを原爆固めにてUWA世界ヘビー級王座の防衛に成功。

☆カネック年表 1977年

★3月27日、敗者覆面剥ぎ、髪切り戦にてルーベン・ファレスを坊主にする。この試合を期にモンテレイ修行を卒業。

★4月頃、主戦場がメキシコ・シティへ移る。

★8月11日、トルーカにて春からメヒコ入りした藤波と抗争を展開し、シングル戦で勝利。

★9月16日、トルーカにて藤波と再戦し、またも勝利。

★9月25日、ビジャエルモサにてL・テーズの持つUWA世界ヘビー級王座に挑戦するも敗退。

★12月初旬、

★12月中旬、マスカラスの持つ王座に挑戦し、敗退

☆カネック年表 1970年〜1976年

【1970年】
★1970年?月?日、アレナ・ハルディン・アギーラにてマルディン・アギラ&アルティン・アギラ(?)プロフェタ&ウニベルシタリオ(カネック)のカードで、エル・マテマティコの欠場に伴い、代打として急に試合に出場することになり『ウニベルシタリオ』(大学生という意味)の名前でリンピオとして突然デビューする事に。プロ・ライセンスはまだ未取得だったらしい。当時のカネックは16歳。

 


【1971年】
★?月?日、パラシオ・デ・ロス・デポルテス(ビジャエルモサ)でサエタ・アステカ&サエタ・ベラクルサーノ(?)?&プリンシペ・アスール(カネック)のカードで『プリンシペ・アスール』の名前で正式プロ・デビューを果たす。

★?月、敗者マスク剥ぎ戦にてウルトラトゥンバのマスクを剥ぐ。

 


【1972年】
★?月?日、敗者覆面剥ぎor髪切り戦にてエル・ノルエゴを坊主にする。

 


【1973年】
★3月20日?24日?、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノスにて、エル・コンドル&エル・リンセ(?)トニー・サラサール&カネックのカードで『カネック』としてのデビュー戦を果たす。実質3度目のデビュー戦。

この年は試合にはほとんど出ずに身体&基礎づくりに励む。

 


【1974年】
★1974年5月?日、グアダルーペ
◇初代ミステル・ニエブラ(?)カネック
※この年もこの1試合のみで身体&基礎づくりに励む。

 


【1975年】
★1975年1月29日、パラシオ・デ・ロス・デポルテスにてUWA旗揚げ戦のセミ・ファイナル、ミル・マスカラス&エル・ソリタリオ&レイ・メンドーサ(?)ドレル・ディクソン&スニー・ワー・クラウド&カネックで実質4度目の本格デビュー戦を。
マスクはアントニオ・マルティネス製、上部が銀旧ラメ、下部が金旧ラメ、紫ふちどり、目の周りのデザインは目頭が丸く、目のカットはアーモンド型を着用。
この日からソリタリオの目の覆いを意識したカネックのマスクの基本・原型が出来たわけですね。

★7~8月頃 シューターのアス・チャロと組んでモヌメンタル・モンテレイ闘牛場とそれに付随する北部をサーキットして試合をしていたそうです。

★11月23日、モヌメンタル・モンテレイ
▽敗者覆面剥ぎor髪切り戦にてサニー・ワー・クラウドを坊主にする。

★12月~ティニエブラスと長身同士の巨人対決で抗争を繰り広げ、もまれる。

 


【1976年】
★5月3日、ヌエボ・ラレドにてエル・アダウスの持つUWAナショナル・ライト・ヘビー級王座に挑み敗れる。

★6月6日、故郷のビジョエルモサにて再びアダウスのUWAナショナル・ライト・ヘビー級王座に挑み引き分ける。

★6月13日、故郷のビジョエルモサ(=パラシオ・デ・ロス・デポルテス?)で3たびアダウスのUWA世界ライトヘビー級王座に挑むも牙城崩せず返り討ちに。

★12月17日、モヌメンタル・モンテレイにてホセ・トレスの北部ヘビー級王座に挑み、新王者になり   
ローカルの王座ながらタイトル初戴冠。