『 慣れたのはいいが、俺自身 マンネリ化しないように注意している。
メヒコにいる時もオタク(週刊ゴング)の雑誌を見たり、タカハシ(通信員)に話を聞いて日本の情報やファイト・スタイルを研究しているんだ。 』
『 慣れたのはいいが、俺自身 マンネリ化しないように注意している。
メヒコにいる時もオタク(週刊ゴング)の雑誌を見たり、タカハシ(通信員)に話を聞いて日本の情報やファイト・スタイルを研究しているんだ。 』
『 カール・ゴッチ、ルー・テーズ、ビル・ロビンソン、彼らとは一緒に練習したよ。
試合でも対戦している。時期的にこの3人が一緒になるということはなかった。
私とゴッチ、私とルー・テーズ、私とビル・ロビンソンといった具合に一緒に練習したんだ。朝7時から昼2時まで。
ゴッチはエキシビションでシュートを見せたりしたが、テーズとロビンソンはリング(マット)を使ってその時間中ずっと、私とシュートをやっていた。 』
【 私たちメキシカンにとっては永遠のテーマのひとつでもある、他のアメリカ人の選手たちとの間に、いろいろとトラブルがあったのは事実だ。 】
by.2003年4月発売、ベースボール・マガジン社ムック『スポーツ・スピリット21』より
【 (92年8月15日、川崎での)マスカラスとのダブル・タイトル・マッチはあれで良かったんだと思うよ。
どちらにも傷がつかなかったし、マスカラスは日本ではスーパースターだからね。
でも何も残らなかったよ。 】
by.2003年4月発売 ベースボール・マガジン社ムック 『スポーツ・スピリット21』より
【 私もアレナ・メヒコでキング・ハクとやっていろいろあったけど、こういうのはお互いが教師なんだ。
試合の中で彼が私に教え、私が彼に教える。
そう思ったらお互いにわかり合えたようで、しばらくしてからトレオでやった時はいい試合になったよ 】
by.2003年 ベースボール・マガジン社ムック『スポーツ・スピリット21』 より
もういくつ寝ると誕生日ぃ〜。
はい、もういくつ寝るとカネックの誕生日ですね。
ちなみに今年でカネックは68歳になります。
70歳説とかありますがまだ68歳ですよ。
1950年生まれ、1952年生まれ、1954年生まれ等々、いろいろな説があるみたいですけども どうやら1954年生まれが正解みたいで
昔にオレの友人にカネック本人がそう言ってたそうですから。
ちなみにカネックが日本で誕生日を迎えた事があるのは、1982年6月19日と1988年6月19日のたったの2回なんですね。
82年の時は前日が蔵前での飛竜十番勝負・第4戦としてvs藤波戦で引き分け、当日は神奈川・伊勢原でメイン・イベント6人タッグマッチ・3本勝負、猪木&藤波&木村健vsアンドレ&カネック&スコット・マギーというカードで2−1で敗れたものの1本も負けブックを飲まされておらず、88年は後楽園で小林邦昭とのシングルにて結果はコーナーに突進したところをかわされて回転エビ固めに丸め込まりれてのピンフォール負けを喫しております。
この88年6月19日は元々は越中 詩郎&山田 恵一vsカネック&ドクトル・ワグナーJr.のカードが決まってて、しかもテレビ放送用カードだったんですよね。
楽しみにしてたのに結局は新日特有の土壇場でのカード変更のあおりを喰っては小林邦昭に負けたうえにテレビにも放送されずじまいという。。。
…せっかくのカネックの誕生日なんだからさあ
頼むよ 新日ぃっ!!💢
なんてやきもき怒りまくってたあの頃は純なウブな少年の私でした。