★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆カネックの経歴②

《★デビュー~1980年代に入る頃まで》

■1970年に16歳で非公式にデビュー。
■1972年、17歳の時に故郷タバスコでプリンシペ・アスールの名前で正式にプロデビュー。
■1973年・18歳の時にスギ・シトに誘わりれてメキシコ・シティーに進出し、パラシオ・デ・ロス・デポルテスにてデビュー。
■同年3月にフィクサーである『ルチャ・リブレ誌』の編集長バレンテ・ペレス氏の提案のもとにカネック(表記はKANEK)に転身する。
■3月20日に(3月24日?)トレオにてカネックとして正式デビュー。当時18歳。
■同年にパチューカで結婚。
■1975年1月・19歳の時にフランシスコ・フローレス氏が立ち上げたUWA(プロモーショネス・モーラ)旗揚げ戦のエル・トレオ大会のセミ・ファイナルに出場。この期に本格的に試合をするようになり、本人はこの試合が実質的なデビュー戦ととらえている。
■1976年12月、ローカル王座ながら初めてのタイトル戴冠。当時22歳。
■1977年、メキシコに修行に来た藤波と抗争勃発。日本のプロレス雑誌に初めてカネック掲載されたのはおそらくこの頃。当時、23歳
■1978年1月、D・ワグナーを破り初めてメジャー王座を戴冠。23歳。
■同年、3月に初来日を果たす。23歳。(このシリーズ最終戦にいわゆる敵前逃亡事件を起こす。)
■同年、帰国後にペナルティとして3ヵ月出場停止を食らい(しかし6月上旬に試合をしている)カール・ゴッチにしごかれ成長する。
■同年6月20日、ドス・カラスに敗れUWAナショナル・ライトヘビー級王座を失うも(前日に24歳なる)8月27日にテーズを破りUWA世界ヘビー級王者となり、いよいよカネック黄金時代の幕を開ける。当時24歳。
■1979年4月、新日と和解して2度目の来日を果たす。当時24歳。
■同年12月にUWAと新日の対抗戦として長州、シンと立て続けにシングルで対戦し、このあたりから本格的にカネックの対外国人選手の構図が展開されるようになる。当時25歳。
■1980年1月にシンに敗れUWA世界王座を失うと スランプに入ったかのようにこの年はパッとした活躍もなく、また和解したはずの新日のシリーズに来日することもなかった。
■1981年2月 シンに1年振りに雪辱を果たし王座奪回し蘇えると…ここから80年代を彩った輝かしい戦績を残すことに!!