■テムヒン・モンゴル(若手時代のキラー・カーン)
(77年12月から滞在〜3月)
■栗栖 正伸①
(3月〜82年3月)
■アントニオ猪木①
(4.22のみ)
■藤波 辰巳②
(4.22のみ)
■長州 力①
(12.19のみ)
★タイガー・ジェット・シン①
(12.22〜12.23)
■テムヒン・モンゴル(若手時代のキラー・カーン)
(77年12月から滞在〜3月)
■栗栖 正伸①
(3月〜82年3月)
■アントニオ猪木①
(4.22のみ)
■藤波 辰巳②
(4.22のみ)
■長州 力①
(12.19のみ)
★タイガー・ジェット・シン①
(12.22〜12.23)
■テムヒン・モンゴル(若手時代のキラー・カーン)①
(前年12月から滞在中)
■藤波 辰巳①
(前年から滞在〜1.22)
■カール・ゴッチ①
(?〜?)
■ルー・テーズ②?③?
(8.?〜?)
■ストロング小林を引退に追い込む
ストロング小林さんは1981.10.16(大分)大会を最後に腰の負傷を理由に試合から遠ざかりまして、そのまま試合復帰されることなく、1984.8.26、福生にて正式に引退されてるわけですが、
そのS小林さんが引退につながる原因となった腰の負傷とは、81年2月〜5月まで3カ月間滞在したメキシコにてカネックのUWA世界ヘビー級王座に挑戦した際にカネックの原爆固めを喰らい、その時にカネックのアゴがS小林の腰に食い込んで痛めた、と
当時の月刊プロレス誌のインタビューにて語られているんですよね。
つまり ストロング小林を引退に追い込んだのは カネックだったのです。
カネックの原爆固めがS小林には本当に原爆を喰らわせられたと同じくらいの致命傷を負わされてしまったわけなんですね、皮肉なものですが。。。
これを偉業とか快挙とか言ってはいけませんが、良くも悪くもちょっとした記録と言っては記録になるものと判断して記載してみました。
■1984.11.11(エル・トレオ) カネック&ペロ・アグアヨ&エル・サタニコvsアブドーラ・ザ・ブッチャー&アブドーラ・タンバ&シェン・カラス戦にて、ブッチャーにトペ・スイシーダ(通算2度目?)とブレーン・バスターを決める!
ブッチャーへブレーン・バスターを決めた事があるのは有名なところで猪木ですよね。
この試合の2ヵ月後の85.1.25徳島大会での2人のシングル戦でも終盤にブレーン・バスターを決めてたのは有名なシーンですね。
でも他にブッチャーをブレーン・バスターで投げるというシーンはあんまり見かけませんよね…?
ブッチャーが全日に復帰した晩年の88年1月だったかのシングル選手にて鶴田が投げてたような…。
ちなみにこの試合で3本のうちの1本をブッチャーからトペ・スイシーダを決めてからのリングアウト勝ちを収めております!
この84年2月にブッチャーをボディ・スラムで投げ、にはブレーン・バスターで投げてトペをぶち込むという…たまらないなぁ!
カネックってやっぱりビバですよネ〜!!
■1984.9.30(エル・トレオ)、UWA世界ヘビー級選手権試合、vsスタン・ハンセン戦では、2本目をハンセンにトペ・スイシーダを決めてリングアウト勝ちを収めるという。
あの時代は完全決着がなかなか難しくて、リングアウト勝ちというのはちょっとした結構な良い結果でしたからね。
あくまで3本のうちの1本であって決勝ラウンドで奪ったわけではありませんが、しかも2カ月前に蔵前で馬場に完全フォール負けを喫したハンセンとはいえ、それでもあの時代のハンセンにリングアウト勝ちを収めたというのは紛れもなく快挙ですよね。
しかも最後は負けたり引き分けるわけでなく、反則勝ちという不透明決着ながらもあの時代のハンセンに勝って王座を防衛するわけですからネ…たいしたものですよネ!!
■84.9.21(アレナ・メヒコ)UWA世界ヘビー級選手権試合、vsシェン・カラス戦にて。
この日のUWA世界ヘビー級王座の防衛戦は、UWAのライバル団体であったEMLL(現CMLL)のルチャ・リブレ生誕30周年大会として行われたビッグ・マッチの目玉カードのひとつとして
UWA世界ヘビー級王者のカネックがライバル団体EMLLの聖地のアレナ・メヒコに乗り込んで、そのライバル団体のエースであり、同団体の現役ヘビー級王者であったC・カラスの挑戦を受けて防衛したわけですが(結果はダブル・ピン・フォールの引き分け)。
この時のこのカードを日本で例えますと、支持率が高かった新日本のエースであり、その新日の一番権威があるIWGPヘビー級王座の現役王者であるアントニオ猪木が、ライバル団体の全日本の聖地の日本武道館に乗り込んで、その全日のエースであり、その全日で一番権威がある王座の現役王者であるジャイアント馬場の挑戦を受けて引き分けて防衛した……という事なんですね。
日本で他団体のエース達がぶつかり合うのが実現するのは、この84年からだいぶ経ってからになるわけですから、こんなカードが、頂上対決が、しかもタイトル戦にて実現してるメヒコってある意味でプロレス先進国でしたね。
そんな背景を考えたら明らかに格下のC・カラスに完全勝利できないのも充分納得したうえでこのカードの重さ、並びにやり切ったカネックにまたまた感服してしまいました。