★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆カネックのマスクの頬の模様シリーズ③

今回はアギラについてイッてみましょう。


アギラの場合は独特で顎の模様が蛇になってますよね。


アギラは最初の頃はどうも好きになれなかったのですが、85年のカネックがあの年に頻繁に着用した事が印象深くて、考察しているうちに後々に好きになっていったデザインになります。


アギラは細い模様という事もあってか一番スマートなデザインというイメージなんですが皆さん的にはどうでしょうか。


顎の蛇もいい味を出してるんですよね。


このアギラは鷲のことで有名ですが、天下を獲ったカネックにふさわしいデザインですよね。


アギラのマスクで個人的に好きなマスクを挙げさせて頂きますと…83.1.16(トレオ)カネック&アグアヨvsアンドレ&タンバ戦で着用したプエブラ製、赤旧ラメ、金ふちどりや、84.7.5(大阪)vs藤波戦&7.8(後楽園)vs長州戦で着用したプエブラ製・青シルク・銀ふちどりのマスク、84年末に着用したプエブラ製・パール・ラメ・紫メタリックふちどりのマスク


それから85.9.15(トレオ)vsマスカラス戦でのプエブラ製・銀旧ラメ・ワインふちどりのマスク、その直後のメキシコ大地震の直後の試合で着用したプエブラ製・銀旧ラメ・緑ふちどりのマスク


それからそれから85IWGPタッグ・リーグ戦の後半に着用したプエブラ製・銅旧ラメ・黒ふちどりのマスクらが思い入れのあるマスク達になりますでしょうか。


ちなみに85IWGP&WWFチャンピオン・シリーズでの1回戦のvsアンドレ戦で着用したプエブラ製・赤ラメ・金ふちどりのアギラのマスクもカッコ良かったのですが、あれは新ラメっぽいのですが旧ラメなのでしょうかね…?

シングル素材で新ラメに見えるだけなのかな?


皆さん的にアギラはいかがなものでしょうか。

☆カネックのマスクの頬の模様シリーズ②

さて今回はカネックのマスクの頬の模様で好きな柄についてシリーズを書かせて頂きたいと思います。


昔に聞いた話しでは一部ではククルカンが一番人気らしいですね。


個人的には …ん? と思ったりもしたのですが、改めて見比べてみると程良い威圧感がありながら格好良くバランスがとれていて なるほどと実感させられた次第でした。


なんか 強い!手強い!! といったオーラがありますよね。


このククルカンというのはメキシコのピラミッドの壁画に描かれた産毛の生えた蛇らしいのですが、謎が多いピラミッドですが、そもそもは神様に生贄をささげる儀式の場とか神様と交信をはかる場所という説もありますよね。


しかも古くから世界各地に祭られてる神様の正体って実は宇宙人というか地球外生命体という説が濃厚ですよね。


その地球外生命体が爬虫類系であり、ククルカンも産毛の生えた蛇ならば本当は地球外生命体を描いたデザインなのかもわかりませんね。


つまり対外人で強い戦歴を誇ったカネックの姿とは、《マヤの神が宿ったカネック》ではなく、《地球外生命体が宿ったカネック》だったのかもしれないという…そんな裏返った目線で観てみるとまた面白いですよね。


ちなみにククルカンのデザインはプエブラことアレハンドロ・ロドリゲス氏のデザインではなく、アントニオ・マルティネス時代にククルカンの原型があったんですよね。


それをアレハンドロ氏が改良した形で81年夏にククルカン再デビューを果たしたのであります。


ククルカンのマスクで個人的に好きなのは84.9.2(トレオ)でホーガンのWWF王座に挑戦した時のプエブラ製・金旧ラメ・青ふちどりのマスクか、83.7.31(トレオ)でのカネック&アグアヨvsホーガン&浜田で着用したプエブラ製・赤旧ラメ・金ふちどり、ククルカン内向きのマスクが一番好きかなぁ。


83IWGPシリーズでホーガンとのタッグや前田やベラとの公式戦で着用した プエブラ製・緑旧ラメ・金ふちどり、ククルカン内向きのマスクも愛着ありますねぇ。


プロレスマスク・ショップの広告に掲載されてたプエブラ製・銀(新)ラメ・紫メタリックふちどりもしびれたなぁ。


有名どころの84.9.30(トレオ)でハンセンを迎え撃った試合やコブラや谷津との試合で着用した プエブラ製・緑旧ゴムラメ・赤ふちどりは好きじゃないんですよね。

緑に赤という組み合わせが好きじゃないんですよね。


しかもハンセンの試合は何故かロング・タイツがラメ模様じゃなくジャージでしたね。。。


あと毛嫌いされるケースが多いプライベート・マスクになりますが、85年IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ前夜祭にて着用してたプエブラ製・金シルク・水色ふちどりのククルカン外向き、アゴ開きや、86年にメヒコの雑誌での特写や87年度のプロレス大賞のパーティーなどで着用したプエブラ製・赤スパンコール・金ふちどり・ククルカン外向き・アゴ開き・チャックはめちゃくちゃカッコ良かったですねぇ。

☆カネックとの対戦歴表〜外人選手編⑤

ちなみにカネックとはまるで無縁のような全日系やNWA & AWA系の外人選手とは以下の通りです。


❌ハーリー・レイス
81年春など2回くらいメヒコ襲来するもNWA系のEMLLに出場した為に対戦なし。たらればになりますが、82年頃から始まるUWAとEMLLの交流がこの時期から始まっていれば対戦が実現していたでしょうね…惜しいです。

❌ニック・ボックウィンクル
絡みは皆無も、週刊ファイトの企画にて82年春にカネックの遠征先のロスにてカネックとニックの夢の対談が実現!!

❌ドリー・ファンクJr.

❌テリー・ファンク

❌ザ・シーク

🔺テッド・デビアス6人タッグで組んだ説有り。

❌ディック・スレーター

❌リック・フレアー

❌リッキー・スティムボート

❌テリー・ゴーディ

❌トミー・リッチ

❌ロード・ウォリアーズ

❌クラッシャー・ブラックウェル

❌スーパー・デストロイヤー(スコット・アーウィン

❌バリー・ウィンダム

❌デビッド・フォン・エリック

ジェシー・バー

❌マグナムT.A

❌マーク・ヤングブラッド

⭕ダニー・クロファット

⭕ダグ・ファーナス

❌ジョー・マレンコ

❌ディーン・マレンコ

☆カネックとの対戦歴表〜外人選手編④

❌ビリー・ジャック・ヘインズ

❌ケビン・フォン・エリック

❌ケリー・フォン・エリック

❌スティーブ・ウィリアムス

⭕クラッシャー・バンバン・ビガロ

⭕オーエン・ハート

⭕スコット・ホール

❌リック・スタイナー

⭕ビッグバン・ベイダー

❌アイアン・マイク・シャープJr.

❌マイク・ジョージ

⭕クリス・アダムス

🔺シープ・ハーダース

❌トニー・セントクレアー

⭕ワイルド・サモア

⭕グレート・コキーナ

⭕TNT

⭕?ペガサス・キッド

❌スコット・ノートン

☆カネックとの対戦歴表〜外人選手編③

❌ボブ・オートンJr.
88 IWGPチャンピオン・シリーズにて一緒になった事あり。が、6人タッグ等で組んだりした事も皆無。

❌ポール・オーンドーフ
日本で一緒になった事も無く、接点は皆無。

❌ハクソー・ジム・ドゥガン
全くの皆無。

❌バズ・ソイヤー
87 新春黄金シリーズに一緒に参戦し、1度だけタッグを組んだ事あり。

❌ワフー・マクダニエル

❌サージェント・スローター

❌ケン・パテラ
81年4月のシリーズで一緒になるも接触は皆無。

❌ピート・ロバーツ

❌ヘクター・ゲレロ

❌レス・ソントン

❌スティーブ・ライト

❌グレッグ・バレンタイン

❌ロディ・パイパー

❌ブラック・ジャック・マリガン

ジェシー・ベンチュラ

❌ボビー・ダンカン

❌カート・ヘニング

❌ドン・ムラコ

☆カネックとの対戦歴表〜外人選手編②

⭕チャボ・ゲレロ
'79MSGシリーズ中に姫路で藤波&チャボvsカネック&ソリタリオというカードデ一度だけ対戦が実現している。結果は1本目と2本目をカネックとチャボで取り合っている。

⭕レネ・グレイ
81年末と82年末のタッグ・リーグ公式戦にて2度対戦(81.11.アンドレ&グレイvsカネック&マキナ、アンドレ&グレイvsカネック&アグアヨ)

⭕ボブ・バックランド
バックランドがメヒコ初襲来した81年4月にタッグで初対決が実現。同年秋の2度目のメヒコ襲来時にはシングルが決定されながらもバックランドがWWFの都合により途中帰国してしまったがために流れてしまった。。。カネックのインタビューによるとバックランドが逃げた感じらしい。

❌ダスティ・ローデス
81年の第2回MSGタッグ・リーグ戦にて一緒になるも絡みは皆無。

⭕バッドニュース・アレン

❌ダイナマイト・キッド
81年春のシリーズで一緒になり幾度かタッグを組んだり意気投合し仲良しになる。その後の81年と85年3月の2度に渡りキッドのメヒコ襲来が予定されるも2度共にドタキャンにより対戦は皆無。

⭕マニー・ヘルナンデス
82年春頃にロサンゼルス・マットにて抗争を展開した仲。

❌ブレット・ハート

❌初代ブラック・タイガー
B・タイガーとしてもマーク・ロコとしても全くの皆無。日本で一緒になったことすら皆無。

⭕ビッグ・ジョン・スタッド
'83IWGP決勝リーグ公式戦にてシングル戦が一度だけ実現している。試合はスタッドが勝ったが、ベースボール・マガジン社によるとカネッチがIWGP公式戦の中で最もハッスルした試合らしい。

❌デイビーボーイ・スミス
84年サマーファイト・シリーズにて一緒になり、タッグで組むも対戦経験は無し。

❌デビッド・シュルツ
84年サマーファイト・シリーズにて一緒になるもタッグを組む事もなく絡みは生涯皆無。実現してたら大変興味深かったですよね。。。

キングコング・バンディ
84年秋冬にメヒコ襲来予定が中止になり、バンディがその後にWWF入りした事もあり結局は未対決に。85 IWGP & WWFチャンピオン・シリーズにて一緒に参戦なるも、6人タッグ等で組むなどの接触は皆無。

⭕ハクソー・ヒギンス
85 IWGPタッグ・リーグ公式戦にてカネック&ドスvsヒギンス&N・ザ・バーバリアンというカードで1度だけ対戦し、結果はカネックとヒギンスが両者リングアウトにて引き分ける。

⭕ノード・ザ・バーバリアン
上記の通り85 IWGPタッグ・リーグ公式戦にて1度だけ体戦。

❌コンガ・ザ・バーバリアン
87 新春黄金シリーズにて一緒になるも6人タッグ等で組むなどの接触は皆無。

⭕ジミー・スヌーカ
85 IWGPタッグ・リーグ公式戦&97年にメヒコにてタッグで対戦が実現。シングルは皆無

☆カネックとの対戦歴表〜外人選手編①

⭕ルー・テーズ
60代後半の年齢にさしかかりながらもUWA旗揚げにて招かれて初代ヘビー級王者に任名されて若きエースのカネックの目標的な存在となる。ちなみにカネックに敗れて王座を奪われる前にも前哨戦でカネックや老兵のアンヘル・ブランコにも敗北を喫している。

⭕カール・ゴッチ
日本で知り合ったハン・リーのツテでメヒコに出入りし、プロレスを教えるかたわらで試合をこなしてるさなかにカネックとも幾度となく対戦している模様。

⭕ビル・ロビンソン
ロビンソンがメヒコ襲来した81年3月〜6月までに幾多対戦。ゴングが5月下旬にはシングル5連戦してカネックが5連勝したと度々報じているが(しかもすべてタイトル戦)、前哨戦でカネックが敗けた試合と最後のトレオでのカネックが勝って王座防衛した試合以外の証拠を見た試しが無いので本当かどうか不明です。カネックはメヒコでのロビンソンのプロレス教室にも参加し、この時の経験がなによりの財産となった事を後に語っている。

❌ジャック・ブリスコ
79MSGシリーズではタッグを組むも対戦は無し。

❌ローラン・ボック
81年末の第2回MSGタッグ・リーグ戦シリーズにて一緒になった事があるも、6人タッグ等で組んだり絡んだ事は皆無。しかしながら当時のプロレス雑誌の読者からの投稿写真にて通路側で他の選手の試合を観戦する2人の貴重なツー・ショット写真が掲載されてます!!

❌ウィリアム・ルスカ
何の接触も皆無。

⭕パット・パターソン
81年秋にパターソンがメヒコ襲来し、途中帰国したバックランドの代役としてカネックと一騎討ちし敗れる。同年末の第2回MSGタッグ・リーグ戦に参加で一緒になるも、パターソンの途中帰国によりカネック&マキナ組の不戦勝となり未対決となる。

アンドレ・ザ・ジャイアン
79春のMSG公式戦にて初対戦してから92年春まで長い関係を築く。

⭕タイガー・ジェット・シン
新日vsUWA対抗戦という形でシンが79年12月にメヒコ初襲来して以降1年ちょいに渡り王座をかけあいメヒコで抗争を展開する。

⭕スタン・ハンセン
日本では79MSG公式戦にて興味深いシングルが実現している他に、ハンセン&カネック共にピーク時と言える81年末にタッグ・リーグ公式戦で対戦実現しているのも乙。3度襲来しているメヒコでも毎回対戦し、84年にはカネックが反則ながら勝利して王座防衛に成功(うち、1本は貴重なリングアウト勝ちを収める)。

⭕ハルク・ホーガン
日本&メヒコにてシングルで2度、タッグで幾多も対戦。83IWGPシリーズのTVマッチでは2人のタッグが実現。ちなみにカネックとホーガンが組んだのは6人タッグを含め、後にも先にもこの1度のみ。

⭕ブルーザー・ブロディ
85IWGPタッグ・リーグ公式戦にて1度だけ対戦(結果はブロディがキングコング・ニードロップにてカネックをフォール)

⭕ディック・マードック
81年末と82年末、85年末のタッグ・リーグ公式戦にて3度対戦が実現。シングルは皆無。ちなみにマードックはカネックと日本でシリーズ参戦が一緒になった回数が7回で、アンドレと並んで最多の腐れ縁有り。

⭕マスクド・スーパースター
82年末と85年末のタッグ・リーグ公式戦にて2度対戦。シングル対戦は皆無。

アドリアンアドニス
82年末の第3回MSGタッグ・リーグ公式戦にて1度だけ対戦。シングル対戦は皆無。日本ではこの82年末と88IWGPチャンピオン・シリーズにて2度程、一緒になった事が有り。

⭕ディノ・ブラボー
82年末のタッグ・リーグ公式戦にて対戦。シングルでは83IWGP公式戦で2人の対戦が予定されていたが、ブラボーの帰国により未対決に終わる。

⭕アブドーラ・ザ・ブッチャー
ブッチャーが2度目のメヒコ襲来となった82年2月に初対戦し、最後のメヒコ襲来となる85年2月まで3年間に渡り抗争を展開するもシングルはブッチャーが避けた感じで実現せず。カネックはブッチャーをボディ・スラムやブレーンバスターで投げたりトペを見舞ったり、やりたい放題だった。