★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆カネックの隠れた偉業&快挙(順不動)

1983.5.15(後楽園)前田戦にてハーフクラッチスープレックスを喰らって敗北を喫しているのですが、このハーフクラッチスープレックスはこの試合が初公開だったんですよ。




前田が後年に


『 外人達が嫌がって試合前にあの技やるなとかこの技やるなとかと色々うるさかったんだよ。

一番注文が多かったのがホーガン。

ホーガンが一番チキンだった(笑)』



と 色々な場で語ってますが、これはとくにIWGPシリーズの事を指してるのでしょうね。


IWGPシリーズ直前の凱旋帰国の試合で筋書きを破ってオーンドーフを秒殺しちゃったわけですし、かつ新種の7種類のスープレックスと殺人的なニール・キックをひっさげていたわけで そりゃあ外人達がピリピリしますよね。


そんななかでカネックは受け方が未知で危なっかしい新種の7色スープレックスの1つ、ハーフクラッチスープレックスを初めてかける事を了承したのだから
これはこれでたいした偉業ですよネ!

☆カネックの知られざる不穏試合⑤

さてさて今回紹介させて頂きます知られざるカネックの不穏試合は、前回の82.11.29から短期間に4試合続出した流れの延長的な時期に起きた以下の試合になります。



【★】1983年5月15日(日)、東京・後楽園ホール
第7試合
IWGP決勝リーグ公式戦、60分1本勝負
◯前田 明(ハーフ・クラッチスープレックス➡️体固め、10分16秒)カネック●

《☆マスク》プエブラ製、緑旧ラメ(草ラメ)、金ふちどり、頬の模様=ククルカン(内向き)を着用。



この試合は言わずもがな第1回IWGP決勝リーグ戦シリーズだったわけですが、そこに目玉的に参加を決めて注目されたのが先日の蔵前大会で衝撃的な凱旋帰国を果たした直後の、リングネームが本名の日明になる前の前田 明でした。


その新悦・前田との公式戦でちょっと不穏な試合と化したのは、組んでみて前田が硬かったから警戒したのでしょうか?それとも前々から前田のトンパチっぷりを聞いて知っていて警戒していたのでしょうか?はたまたまだ見ぬ7色のスープレックス&ニール・キックをひっさげていたので受け身がとれなくて怪我させられるかもしれないと危惧していたのか?


やっぱり新悦の格下選手に負けさせられる事でイラついていたのか…?


その真相はわかりませんが、試合序盤で前田に持ち込まれたグランド・テクニックの攻防などでしきりに意地になって瞬発的にやり返すカネックの姿があり、異様にプライドをムキ出しにしております。


そんな感じでピリッとしたまま(両者というより、カネックだけピリピリしている感じ)試合は進み、


最後はドロップ・キックをスカされてロープを空撃ちしてカッコ悪く墜落したところを、すくい上げられるように初公開のハーフクラッチスープレックスを喰らい仕留められてしまいます。


そして3カウントが入った直後にすぐさま起きあがって前田に突っかかっては乱闘となりセコンドの若手達が止めに入ります。



『 調子乗るなよ 若造が! 』


「 やるのか コラァ! 」


的なやりとりが展開されたあとにリング上から前田がロープを蹴散らすと 「お前はダメだ」「やってられない」とばかりに手を振り払いリングを後にして哀愁を漂わせながら控室に帰路するカネックの後ろ姿は もぉ 見ていられません。。。


当時に購入した雑誌に試合後に乱闘を繰り広げるカネックと前田の姿が掲載されてたのですが、後年に映像を入手するまでこの乱闘がカネックのマジな感情によってシリアスな不穏になっての乱闘だとは露知らず、昭和のプロレスでは定番の普通の乱闘としか思ってませんでした。。。


ちなみに前田がこのIWGPで白星を挙げたのは結局、このカネックと同じくメキシカンのエンリケ・ベラの2人からと、負傷帰国したオットー・ワンツからの不戦勝の計3勝だけなんですよね。



その開幕してまもなくに足を負傷して帰国したオットー・ワンツといち早く公式戦をこなしてモロに敗北を喫しているのがカネックなわけで。。。


…もう少し後でワンツ戦が組まれていたら他の選手達みたいに不戦勝=4点をゲットできたのに、なんちゅー運の悪さなんだろう。。。




余談になりますが、最近見た動画だったか雑誌だったか忘れてしまいましたが、カネックが日本で印象に残ってるのはいつの来日の時か?的な質問に対し このIWGPシリーズを挙げてたのには個人的にちょっと意外でした。


とんでもなく散々な結果を残した…いや、散々な扱いを受けたシリーズでしたからね。。。


カネックがこのIWGPを印象深く想ってるのは、やっぱりこの散々な扱いを受けた事が理由かと思いきや 猪木やアンドレ、ホーガンなど世界の名だたるトップ選手が一同に集い競った事を理由に挙げてました。


ですが、2回目の来日の第2回M.S.Gシリーズの時も猪木&アンドレ&ハンセンがいたし、81年暮れの第2回M.S.Gタッグ・リーグ戦シリーズにも猪木&アンドレ&ハンセン&マードックがいたし、82年暮れの第3回M.S.Gタッグ・リーグ戦シリーズにも猪木&アンドレ&ホーガン&マードック&スーパースター、アドニスといった名だたる強豪達が参加していましたし、…前評判と違って候補に挙げられていた目玉選手の数人しか参加しえなかったIWGPシリーズがとくに豪華なシリーズというイメージは皆無ですからね。



ちなみにこの前田vsカネックが掲載されたDXプロレスは全体的にカネックの良いイメージが漂う作りで とくにカネックが前田にコブラ・ツイストをかけてるショットは、需要性が低いがために雑誌でも良いショットに恵まれれていないカネックのベスト・ショットの候補のひとつに挙げさせて頂きたいと思います。


ちなみにデラプロ&月刊プロレスってゴングよりもカネックびいきで、生涯を通してゴングの比較にならないくらいにカネックに対して良い報道の仕方をしてるんですよ。


ルチャ系はゴングが強い!圧倒的に!紛れもなく!


わかってる それはわかってるんだけども


…やれカネックに関しては ベースボール・マガジン社の方が圧倒的に良いですから!!


もし、これからカネックに着目してプロレス月刊誌のバックナンバーを購入しようかなぁなんていう際はゴング系ではなくベースボール・マガジン系のDXプロレスか月刊プロレスがオススメです!

☆カネックの知られざる不穏試合④

さて何度も書いてきちゃってますが 改めてこの試合に触れてみましょう!



【☆】1983年1月16日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
△カネック&ペロ・アグアヨ(2-1)?(1-1)?アンドレ・ザ・ジャイアント&アブドーラ・タンバ△
①カネック(反則勝ち、10分50秒)アンドレ
アンドレ(反則勝ち)カネック
③(両者リングアウト、6分15秒)
※③アンドレ(リングアウト勝ち、6分25秒)カネック?
…2通りの報道有り。


《☆マスク》プエブラ製、赤旧ラメ、金ふちどり、頬の模様=アギラを着用。



さてさて、82.11.19から続いた約2ヵ月の間に4試合も続出したカネックにまつわる不穏試合のラストになります!


このアンドレ&タンバvsカネック&アグアヨの判断材料は、この試合をカラーで掲載した当時のデラプロ&別冊ゴング、ならびに購入はしなかったのですが昔々にヤフオクに出品されてたメヒコのプロレス誌を主軸に考察してみました。


まず上記の3誌共に、前週の試合と同様に 技らしい技をかけてるショットがほとんど無いんですよね(汗)


この試合ではアンドレは流血していないようなのですが口の中を切ってます(もしかしたら流血したアグアヨの額を噛みついたりした時の返り血?)、パートナーのタンバが大流血しております(汗)


あとアグアヨも大流血してます。




カネックがまたマスクを剥がされてるショットがありますし。



カネックがアンドレを正面から大きなリアクションで思っきり蹴っ飛ばしてるショットなんかも尋常ではないです。



カネックとアグアヨが2人がかりでアンドレを鉄柱に叩きつけるショットや、ダウンしたアンドレの両足をダウンした相方のタンバの首に巻きつけ、さらにアグアヨがアンドレを上から殴ってるショットなんかも普通を逸脱しております。



さらにはカネック&アグアヨがリング内から2人で同時に飛んでアンドレにダブル・トペ・スイシーダをぶち込んでるショットにはただただ驚愕してしまいます。


…この時代に1人に向かって2人同時飛行によるダブル・トペ・スイシーダを決めるなんて、結構な高度な技になりますよね。。。


アンドレはトペを受けたのはこの試合が初めてではないでしょうかね?!



そしてそして!!

何より特筆すべき点が、この試合でカネックが初めてアンドレをボディ・スラムでぶん投げて史上5人目?の巨人投げを達成するわけです‼‼



ちなみにアンドレを投げた歴代の選手は


①ハーリー・レイス(79年4月に達成)

アントニオ猪木(80年5月30日に達成)

③ハルク・ホーガン(80年7月頃?に達成)

④スタン・ハンセン(81年9月23日に達成)


❁カール・ゴッチはジャーマンで投げているが、ボディ・スラムでは投げていないのでノー・カウントにしました。

❁ローラン・ボックはスープレックス気味で投げてるがボディ・スラムでは投げていないっぽいのでノー・カウントにしました。

❁ブルーザー・ブロディは証拠の写真や動画が一切無いのでノー・カウントにしました。

ストロング小林アンドレが若い頃に投げているのでノー・カウントにしました。


【✰】ここでカネック以降に公けに大巨人投げを達成した選手を記載してみますね。


長州力(84.6.達成)

ジャイアント・キマラ(83〜4年頃?達成)

⑧アルティメット・ウォリアー(87年達成)


✮他にブラック・ジャック・マリガンが投げてる説がありますが未確認なのでノー・カウントにしました。


ちなみにこの試合のこのカネックの大巨人投げを報じたデラプロの見出しが秀逸で



『 カネック ついにアンドレをぶん投げる 』

でしたネ‼


あのショットはカネックの正面からの顔が写ってないものの、個人的にカネックのベスト・ショット最高峰レベルに入ってます‼



試合後には流血したアグアヨがマイクを持って叫んでるショットもあり、何より印象的だったのが好き放題やられたカネック&アグアヨが去った後に呆然とした表情で立ち尽くすアンドレのショットが 何よりもこの試合のすべてを物語っているのではないでしょうか。


もしも、 願いが、 ひとつ、叶うならば


たぶん存在しないだろうけども



オレは この試合の映像が欲しいです!!

神様ぁーーーーーっ!!!!

☆カネックの知られざる不穏試合③

カネックの不穏試合シリーズ第3弾は、今回は個人的に大注目してる83年1.9&1.16、2週に渡ってトレオで繰り広げられたアンドレ&タンバvsカネック&アグアヨ戦についてイッてみましょう!


【☆】1983年1月9日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
□カネック&ペロ・アグアヨ(2-1)アンドレ・ザ・ジャイアント&アブドーラ・タンバ■
①タンバ(ダイビング・ボディ・プレス➡️体固め)アグアヨ
②カネック(リングアウト勝ち)タンバ
③カネック組(アンドレがレフェリーに暴行➡️反則勝ち)アンドレ

《☆マスク》プエブラ製、赤旧ラメ、金ふちどり、頬の模様=おそらくククルカン(外向き)を着用。



まずこの試合が不穏になった理由としまして、それは前回に記載しましたようにアグアヨが語るアンドレに対する不満が理由なのと、82.11.29岐阜での第3回MSGタッグ・リーグ公式戦でコテンパンにやられたことの仕返しの意味があったのでしょう。


ちなみにアンドレアメリカでは日本と違ってベビーフェースの立場だという事は有名ですが、メヒコでもずっとベビーでやってたのがこの83年1月のメヒコ来襲時からヒール=ルードの立ち位置になったそうで、このカードはルードvsルードの構図になったわけです。


ルードvsルードってだけで…荒れる匂いがプンプンプンですね。。。


まず最初の1.9の試合は当時のプロレス月刊誌には掲載されておらず、週刊ファイトにだけ唯一掲載されてます。


それでファイトの報道を観てみるとアンドレが類まれな大流血(普通の流血ではなく大流血)しております。

もちろん、カネック&アグアヨに叩き割られての大流血ではなく、プロレス界ならではのしきたりの自分で切る いわゆる不正流血での大流血ですよ。


大流血してうなだれてるアンドレが右手で不自然になにか隠し持ってる写真が掲載されてるので、これは今々自分の額をカットしたカミソリを持っているので間違いないでしょう。


ですが、大流血のアングルを引き受けたという点が特筆すべき点ではないでしょうか。


他に注目すべき点として、掲載されてる数枚試合写真のほとんどが技らしい技をかけてるショットが無いんですよ。


これは荒れに荒れて普通の試合ではなかったと捉えられるのではないでしょうか。


ファイトの他にメヒコのプロレス誌などでカネックがマスクを剥がされてるショットを見つけたりもしましたし。


エキサイトしてマスクを剥ぐシーンは珍しくないかと思いきや、メヒコは厳しくてマスクに手をかける時ってマスカラ・コントラ・マスカラ戦、あるいらマスカラ・コントラ・カベジュラ戦などのビッグ・マッチ以外では意外と無いっぽいんですよね。


つまりこの一見 普通の試合に思われるこの試合でカネックがマスクを剥がされてるという点も特筆すべき点だと思います。


あとは単純にこのファイトの試合内容の報道文章とゴングの文章を読むと、やっぱり荒れまくったような旨が記載されてますね。


ただ不穏試合になった、セメント・マッチになった、シュート・マッチになった、という記載はどこにも一切ありません。


ってか 不穏試合だとかセメント・マッチだとかシュート・マッチだとかいう いわゆる隠語的な言葉はこの83年当時では使われてませんからね。


プロレス誌にて堂々と使われるようになったのって、第一次UWFの存在でそれとなく浸透して、それを経て新日に返ってきた前田が86年4月に突如組まれたアンドレとのシングル戦にて仕掛けられては返り討ちにしたあの試合が不穏な試合になった事を大々的に報道してからではないですかね?


認識が間違ってたらすみません。


さぁ!そんなこんなでこの試合よりもド派手に荒れまくったアンドレ&タンバvsカネック&アグアヨのレバンチャ戦に続きます。

☆カネックの知られざる不穏試合②

さて、知られざるカネックの不穏試合シリーズ第2弾イッてみましょう!


今回紹介させて頂きますのは、前回の試合から10日後の試合になります。


その試合とは


【☆】1982年11月29日(月)、岐阜産業会館
第7試合
▽MSGタッグ・リーグ公式戦、45分1本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ(アンドレ=ヒップ・プレス➡️体固め、5分42秒=アグアヨ)カネック&ペロ・アグアヨ●

《☆マスク》プエブラ製、オレンジ旧ラメ、黄緑ふちどり、頬の模様=オンブレ・アギラ(外向き)を着用。



に、なります。


残念ながらこの試合の映像は無いのですが、この試合が掲載されてる当事のプロレス雑誌『別冊ゴング』と『月刊プロレス』、並びにこの第3回M.S.Gタッグリーグ戦の統括の企画で行われた『DXプロレス』に掲載されたアグアヨのインタビュー内容を観て不穏試合と認定した次第です。



ちなみに、この試合が不穏になった原因はアグアヨがインタビューのなかで


アンドレの野郎のチームに勝ちたかった。なぜなら最近はメヒコにもアメリカからたくさんの選手が来るようになったが、一番態度がデカいのがあの化け物だ。WWFヘビー級チャンプのボブ(バックランド)ですらメヒコに行けばメヒコのレスラーに敬意を表し、メヒコ流の試合に馴じもうとしていた。それなのにあの野郎(アンドレ)は小人の国に来たガリバーみたいなかおしていやがる。あんなバカでかけりゃ強いのは当たり前だろうが、よそ者のくせにナメきった態度をとられたんじゃおさまらん』


と語っていましたが、これが真相でしょうね。


試合はアンドレがヘッド・バッド→18文キックからのジャイアント・プレスにてアグアヨを圧殺したのですが


圧殺されたアグアヨが、帰りにカネックに担がれる写真も掲載されてるのですが、これなんかはアンドレに仕掛けて返り討ちされて力尽きたアグアヨをカネックが 「 やれやれ 」的に担いでいる感じがしますし、


他にも大の字に倒れたたままのアグアヨに対してアンドレが高笑いしてる写真があるのですが、これは仕掛けてきたアグアヨを返り討ちにしてやって 屁でもないわ 的に高笑いしてるのでしょう。


そしてこのシリーズが終わって年が明けたすぐの83年1月9日〜16日の8日間、アンドレがメヒコ襲来するのですが、ここで初日と最終戦のメイン会場のトレオでアンドレ&タンバvsカネック&アグアヨというカードが2連続で組まれては荒れに荒れたわけなのですが、



その理由は当然ながらこの試合でしてやられたアグアヨ、並びにカネックが復讐として仕掛けたのでしょう。。。


この2試合は本当に荒れまくった感が凄いんですよねえ。。。


結果的にカネックはこの82.11.29〜83.1.16の5週間の間に、不穏な試合を4試合もこなした事になります…!!!!


いやぁ〜 いろんな発見があって見方や価値観が変わっては面白さを増していく昭和プロレス!


これぞまさしく昭和プロレスの醍醐味の1つではないでしょうかネ!!



これは俗に言う錬金術とは違いますよね?!


錬金術とはあと付け的な理由等で価値観を高めていくわけで、自分がさす昭和プロレスの醍醐味とはこれまでとはまた違う見方で知られざる価値をプラスしているわけであり、過去の事実の一部を変に変えたりしてませんからネ!!

あ、でも、いろんななものに満たされなかった昭和という時代を生きてきて、それでもあの時代に生まれて良かったなぁ〜なんて思いに導かれる点で言えば



それは そういう意味では その点に関しては 紛れもなく錬金術ですよね…あい、すみません。。。

☆カネックの知られざる不穏試合①

さて今回は我らがカネックの不穏試合をあげていきたいと思います。


ちなみにカネックの不穏試合ってほとんど語られてないですよね。


カネックにまつわる不穏試合系で公の場的に語られてるのって、81.12.8、蔵前での初代タイガーマスクとの一戦でブック破り的な事をしたくらいですよね。


ですが、長年に渡って収集しまくったカネックの映像をひとつひとつ観てきたなかで、試合の途中や試合の一部で不穏になった試合や、掲載された雑誌にて不穏試合と化した感じの試合を紹介させて頂きますね。


今回紹介させて頂くのは、



【★】1982年11月19日(金)、神奈川・横浜文化体育館(開幕戦)
第6試合
▽タッグマッチ、30分1本勝負
◯カネック&ペロ・アグアヨ(カネック=アグアヨのセントーン→カネックのセントーン➡️片エビ固め、14分12秒=星野)木村健吾&星野勘太郎



に、なります。



この試合は第3回MSGタッグ・リーグ戦シリーズの開幕戦、横浜文化体育館で起きた試合になるのですが、


試合の10分をちょっとを経過したあたりでカネックと星野がちょっとしたパンチ合戦みたいになったあたりで少し不穏な雰囲気と化します。


試合はそのまま何事もなく進み、最後はカネックがリフトアップ気味で投げた星野に対してアグアヨのセントーン&カネックのセントーンと、セントーン2連発で圧殺して終わるのですが、


試合直後に今度はアグアヨと星野がちょっと小競り合あったかと思ったら、星野がカネックに対してなにやら吠えながら向かってゆき、対峙しながら執拗に言い合ってはまわりの木村健やブラック・キャット、ミスター高橋がなだめなて押し問答が少し続くもなんとか収まります。


やはり試合途中のパンチ合戦で感情的になっちゃったのでしょうかね。


そんな喧嘩腰で、かつ鼻っ柱が強い雰囲気の星野に対してちょっとたじろぐカネックの姿が印象的です。


この当事のカネックはまさに全盛期のピーク中のピークと言っても差し支えがない時期ですし、対する星野は生涯前座的な選手で、外人のなかでも位がおちる外人選手の噛ませ犬的な立ち位置なわけですからね。


後にライガーに喧嘩を仕掛けては、いっときの期間やり合い、関係者やファンの間で 【 星野 勘太郎 最強説 】をまことしやかに流したのは、この試合から7年も後の1989年の話しですからね。


そんな時代背景が頭にこびりついてる当事からプロレス小僧の自分には、82年の時の星野に対して、ちょっとビビりたじろぐように位負けしているカネックの姿に違和感を感じぜずにはいられないのが偽らざる本音でした。

☆UWAを襲来した外人歴 1994年編

★ヴァンピーロ・カサノバ
(1月〜)

■ヤマト(タイガー戸口)
(3月〜?)

★ラブ・マシーン①
(3月〜)

★ブラック・キャット
(2月〜)

★ヘッド・ハンターA
(2月〜)

★ヘッド・ハンターB
(5月〜)

■ジミー・スヌーカ①
(6月〜?)

★ウォーロード①
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