⭕アントニオ猪木
➪カネックが2回目の来日の直前のメヒコでの一騎打ちが正真正銘の初対決で、カネックが猪木と互角に渡りあえたのはこの一戦くらいで、以降はシングル&タッグ含めてボロカス扱いされる。カネックが猪木に勝った事は3本勝負のうちの1本を含めて皆無。
⭕坂口 征ニ
➪カネックが2回目の来日となった79年5月の第2回MSGシリーズから毎回のように対戦。82年6〜7月のシリーズではノーTVながら5度に渡りシングルで対戦し抗争を展開。カネックが坂口から勝ったことは反則勝ちで2度あるのみで、フォールを奪った事は3本勝負のうちの1本も含めて皆無。
⭕藤波 辰爾(辰巳)
➪藤波が若手時代にメキシコ武者修行していた時の77年に初対戦して、抗争を展開。この時期はカネックが勝ち越している。カネックが78年に初来日した際の前哨戦で派手にやりあうも最終戦の試合をカネックがやむを得ない事情にてボイコットし、あわや選手生命を絶たれるかのピンチを乗り越え、翌79年に再来日を果たし決着をみる。81年春には地方でカネックが完敗するも4.23蔵前&5.1トレオではカネックが反則ながら2連勝。次の対戦になった82年6.18蔵前での飛竜十番勝負で引き分けるも、日本でのライバル関係は事実上、この時期でストップ。半年後の12.3福島いわき大会では凡戦のうえ呆気ないピン・フォール負けを喫する。83年5月に長州戦に破れた傷心の藤波がメキシコに乗り込み、カネックからUWA王座を奪うも、1ヵ月後にカネックが奪い返す。84年7月に大阪でのTV戦で藤波の王座にカネックが挑戦するも
凡戦の末に敗退。以降は地方のノーTV戦で組まれてはカネックの呆気無い負けという流れにて両者の関係は完全にフェードアウト。
⭕木村 健吾(健悟)
➪78年の初来日以来、カネックが来日する度に対戦し、84年7月にシングルで初めて引き分け、続くパキスタン遠征でカネックが初フォール敗け、翌85年末のシリーズでの両者最後のシングルでも敗戦を喫する。メキシコでのシングルは皆無。
⭕長州 力
➪カネック初対決来日第1戦のタッグ戦にて引き立て役になりながらも翌年のMSGシリーズではシングル公式戦&タッグから互角に渡り合い、82年5〜9月のメキシコ遠征にて抗争を展開。カネックからベルトを奪って自信をつけた長州は帰国後に藤波に噛みつき大出世する。よってカネックは長州を語るにはずせないレスラーとなる。新日へ復帰してから88年5〜6月&10月にタッグで幾度となく対戦する。ちなみにこの時期は長州がマッチ・メーカー。
⭕ストロング小林
➪日本では未対戦。S小林がメキシコ遠征した81年2〜5月の間にシングルやタッグで対戦。この時のシングル戦でカネックが原爆固めを決めた際にカネックのアゴが小林の腰に喰いこみ負傷し、結果、引退に追い込まれる。S小林にとってもカネックは因縁のレスラーとなる。
⭕星野 勘太郎
➪初来日から毎回対戦し、カネックと一番対戦回数が多い選手。カネックの絶好の噛ませ犬的存在。
⭕山本 小鉄
➪78年3月&79年5月に対戦。シングルは皆無。
❌魁 勝司(北沢 幹之)
❌柴田 勝久
⭕キラー・カーン(小沢正志)
➪メキシコ修行時代の78年、カーンとして81年11月&82年11月、そして83年5月にIWGP公式戦にて日本で最初で最後となるシングル対戦。
⭕荒川 真(ドン荒川)
➪87年2月にタッグで1度だけ対戦。
⭕永源 遥
➪79年や84年に対戦。
⭕グラン浜田
➪日本では未対戦。メキシコで幾多対戦。
⭕藤原 喜明
➪78年3月&79年4〜6月や80年代も毎回のように対戦し、UWFを経ての藤原としては87年1〜2月&88年5〜6月に幾度となく対戦。シングルは皆無。
⭕栗栖 正伸
➪日本では84年6月に初対戦であり、意外にもこのシリーズ以外は対戦していない。メキシコではお互いがルードの立場なので数える程度、対戦済み。
⭕木戸 修
➪2回目の来日時からカネックが来日するごとに度々対戦し、UWFを経た木戸としての87年1月のシングル戦ではカネックが初黒星を喫する。他、88年5〜6月にタッグで対戦。
⭕マサ斎藤
➪79年5月にMSG公式戦でシングル&88年5月6月&同年10月にタッグで幾度となく対戦。
⭕上田 馬之助
➪87年1月にシングルで1度だけ対戦。タッグを含めて正真正銘1度だけの対戦となる。
⭕ヒロ・マツダ
➪マツダがフリーとして参戦した82年6月と、維新軍に身を置きながら参戦した84年7月にシングルやタッグで対戦。
⭕佐山 聡(初代タイガーマスク)
➪佐山としてメキシコ修行時代の80年7月、タイガーとして81年5月にメキシコ、81年11〜12月に対戦。
⭕小林 邦昭
➪79年5月&メキシコ修行時代の80年6月〜82年9月、虎ハンターと出世してからの84年7〜8月にはシングルで初勝利を奪われ、&88年5〜6月&10月にもそれぞれシングル対戦し1敗1分け。
⭕前田 明(前田 日明)
➪若手時代の81年11月&前田が本格的に売り出した頃83年5月にIWGP公式戦では屈辱の黒星を喫する。87年末の前田長州事件の処置として88年1月からメヒコ遠征が計画されたが前田が拒否って流れる。
⭕平田 淳ニ(スーパー・ストロング・マシン)
➪79年5月&平田のメキシコ修行時代の83年前半&マシンとして88年6月&同年10月に対戦。
⭕ジョージ高野(ザ・コブラ)
➪79年5月&81年4月&同年11月、高野のメキシコ修行時代の82年〜83年前半、コブラとして84年7月&85年5月〜6月、再びG高野として87年1月&88年5〜6月&10月に対戦。
⭕ヒロ斉藤(斉藤弘幸)
➪斉藤が若手の頃のメキシコ修行時代の81年〜83年前半、ヒロ斉藤として85年IWGP&WWFシリーズでタッグで数回対戦し、全日から復帰してからの88年5月にはタッグ戦にてカネックがフォール勝ちしている同年10月にも対戦。シングルはおそらく皆無。
⭕谷津 嘉章
➪81年11月&82年6月〜7月&維新軍として84年7月〜8月に対戦。
⭕ラッシャー木村
➪81年11月&83年5月にIWGP公式戦でシングルで対戦。
⭕アニマル浜口
➪81年11月&84年7月に対戦。シングルは皆無。
⭕寺西 勇
➪81年11月&84年6月〜7月に対戦。
⭕タイガー戸口
➪82年11月、メキシコでYAMATOとして93年7月&94年3月に対戦。
⭕剛 竜馬
➪81年末のタッグ・リーグ戦シリーズで初対戦し、翌年末と83IWGPシリーズにも幾度か対戦。84年5月のメキシコ遠征時には対戦していない…?
⭕ブラック・キャット
➪81年に新日に定着してからカネックが来日する度に対戦。星野勘太郎と並んで、カネックの噛ませ犬的な存在。
⭕高野 俊二
➪85年5月〜6月のシリーズに初対戦。2人が対戦したのはこのシリーズ中だけ。
❌高田 信彦(延彦)
⭕山崎 一夫
➪若手時代には未対戦もUWFを経て87年1月にタッグで2度対戦。
❌仲野 信市
⭕保永 昇男
➪84年7月に初対戦。
⭕新倉 史祐
➪84年7月に初対戦。
⭕小杉 俊二
➪85年5月に初対戦。同年末、86年4月&87年1月にも対戦。
⭕山田 恵一(獣神サンダー・ライガー)
➪85年5月に初対戦。86年4&月88年10月、ライガーとしてメキシコで89年10月に対戦。シングルは山田としては有るが、ライガーになってからは皆無。
⭕佐野 直喜
➪86年4月に初対戦。87年1月にも対戦。シングルは皆無。
⭕後藤 達俊
➪85年11月に初対戦。86年4月にも対戦。
⭕畑 浩和
➪87年2月に初対戦。
⭕笹崎 伸司
➪86年春にカルガリーで対戦しているかも?
❌アノアロ・アティサノエ【留学生】
⭕金 秀洪
➪85年5月に初対戦し、86年4月&87年2月にもタッグで幾度か対戦。
❌力抜山
⭕越中 詩郎
➪85年11月に初対戦。86年4月のシリーズではシングルで4回も闘い抗争を展開し、越中が勝ち越す。87年1月〜2月&88年5月〜6月&同年10月にも対戦。
⭕ケンドー・ナガサキ(ランボー・サクラダ)
➪85年11月&88年6月にタッグで対戦。シングルは皆無。
⭕ミスター・ポーゴ
➪85年11月&88年6月にタッグで対戦。シングルは皆無。
⭕武藤 敬司
➪スペース・ローン・ウルフ時代の87年1月に2度のシングルの他、タッグで対戦。
❌橋本 真也
❌蝶野 正洋
❌野上 彰
❌飯塚 孝之(高史)
❌大矢 健一
❌船木 優治(誠勝)
❌鈴木 実(みのる)
❌中野 辰夫【UWF所属】
❌安生 洋二【UWF所属】
❌宮戸 優光【UWF所属】
❌クリス・ベノワ【留学生】➪ペガサス・キッドとしてメヒコ遠征していた91年目3月〜93年の間に対戦していた可能性が有りますが、詳細はわかりません。
❌馳 浩
⭕佐々木 健介
➪若手時代の88年6月に2度タッグで対戦。
⭕松田 納(エル・サムライ)
➪松田が若手に92年春まで滞在していたメキシコ遠征中に対戦している可能性有り…?2011年11月に対戦。