★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆vsディック・マードック 生涯戦績

マードックとカネックの関係は、マードックが81年秋に日本の主戦場を全日から新日へ変えて、その年末のタッグ・リーグ戦から88年のIWGPチャンピオン・シリーズまでになんと7回も一緒になってます。

カネックとシリーズ参加が一緒になった外人選手はアンドレと並んで最多となってます。


マードックは1度もメヒコへ行く事はありませんでしたが、85年暮れの週刊ザ・プロレスに、マードックは典型的なアメリカンで、メヒコを毛嫌いしてたというか見下していた感じがあってメヒコに行く事が無かったみたいな事が記載されてましたが、自分もそのように感じてます。


ブッチャーとの抗争でわかったようにマードックは大の黒人嫌いでしたし、典型的なアメリカン人というか、自分達が一番位が高いというような意識が強い典型的な白人だったのかもわかりませんね。



【①】1981年12月5日(土)、福島市体育館
第7試合
▽MSGタッグ公式戦、45分1本勝負
◯スタン・ハンセン&ディック・マードック(ハンセン=ウェスタン・ラリアット➡️体固め、10分30秒=マキナ)カネック&スペル・マキナ●
《※》マードックが秋に新日に移籍してきて実現した興味深いビッグなカード。
当時の月刊プロレス誌にモノクロながらマードック相手にコーナー最上段からチョップを見舞う姿が。
85IWGPタッグ時にはマードックの腕を絞り上げる姿や逆にエルボーに仕留められる姿が…超貴重(涙)


【②】1982年12月4日(土)、宮城・石巻市民体育館
第7試合
▽MSGタッグ・リーグ公式戦、45分1本勝負
◯ディック・マードック&マスクド・スーパースター(マードック=片エビ固め、8分41秒=アグアヨ)カネック&ペロ・アグアヨ●
《※》残念ながら当時のプロレスマスコミは各誌はこぞって取材しなかったようで、この試合のショットはどのプロレス雑誌にも一枚も掲載されてません。

【③】1985年12月2日(月)、熊本市体育館
第8試合(セミファイナル)
IWGPタッグ・リーグ公式戦、30分1本勝負
◯ディック・マードック&マスクド・スーパースター(マードック=エルボー・ドロップ➡️片エビ固め、11分40秒=カネック)カネック●&ドス・カラス
《※》当時の週プロのリングアナのケロによるリポートとして、この試合の数日前にパートナーのスーパースターの負傷していた膝が本気で欠場を検討するくらい悪化していて、この試合のほとんどをマードックがこなしたらしいのですが、格下のメキシカン2人相手にマードックは終始、完全に遊んでいたとの事です。。。

それでもですね、マードックと対戦しているカネックの姿が掲載されてる当時の週刊ゴングと週プロは現在でも貴重なお宝ショットとして崇め奉っている次第です。



《☆マードックと組んだ試合戦績》

【①】1982年6月26日(土)、北海道・遠軽町総合体育館
第9試合(メインイベント)
6人タッグ、60分3本勝負
アントニオ猪木&ハルク・ホーガン&藤波辰巳(2-0)ディック・マードック&カネック&スコット・マギー●
①日本組(反則勝ち、11分0秒)
②猪木(体固め、3分23秒)マギー


【②】1982年7月2日(金)、北海道・旭川市総合体育館
第9試合(メインイベント)
▽タッグマッチ、60分1本勝負
アントニオ猪木&藤波辰巳(両軍リングアウト、11分40秒)ディック・マードック&カネック△


【③】1982年7月8日(木)、神奈川・横須賀市総合体育館
第9試合(メインイベント)
6人タッグ、60分3本勝負
アントニオ猪木&ハルク・ホーガン&藤波辰巳(2-0)◯アンドレ・ザ・ジャイアント&ディック・マードック&カネック●
①日本組(反則勝ち、9分42秒)
②猪木(バックドロップ➡️体固め、2分52秒)カネック


【④】1982年12月2日(木)、豊田市体育館
第8試合(メインイベント)
6人タッグ、60分1本勝負
アントニオ猪木&◯ハルク・ホーガン&藤波辰巳(ホーガン=体固め、10分11秒=カネック)ディック・マードック&マスクド・スーパースター&カネック●


【⑤】1982年12月6日(月)、仙台・宮城県スポーツセンター
第9試合(メインイベント)
▽タッグマッチ、60分1本勝負
◯ハルク・ホーガン&藤波辰巳(ホーガン=アックス・ボンバー➡️体固め、14分45秒=カネック)ディック・マードック&カネック●
《☆マスク》プエブラ製、銀旧ラメ、青ふちどり、頬の模様=山羊を着用。


【⑥】1985年11月18日(月)、宇都宮・栃木県体育館
第9試合(メインイベント)
6人タッグ、60分1本勝負
アントニオ猪木&藤波辰巳&木村健吾(猪木=延髄斬り➡️体固め、11分55秒=ドス)ディック・マードック&カネック&ドス・カラス●

☆ vsハルク・ホーガン 生涯戦績

既に以前に書いてますが、ホーガンとの体格差がありすぎて、悲しいほどにまるで相手になれてないのが現実でした。。。


本当に大人と子供というくらいの差を見せつけられてショックでした。。。


映像をお持ちでない方はYouTubeでも82.6.25(札幌)猪木&ホーガンvsアンドレ&カネックの動画がアップされてますので、お暇な時にでも参考がてら観てみてくだされば一目瞭然かと思います。


これではホーガンがどれだけ頑張ってカネックに合わせて技を受けてカネックを引き立てようとも、残念ながら典型的なアメリカン・プロレス=ショーマン・プロレスのような試合にしかならないでしょうね…カネック・ファンとしては心底悔しいですけどもね。。。


なので、vsホーガンに関して語りたい事は何もないような感じであります。。。



【①】1982年6月25日(金)、北海道・札幌中島体育センター
第9試合(メインイベント)
▽タッグマッチ、60分1本勝負
アントニオ猪木&△ハルク・ホーガン(両者フェンスアウト、9分35秒)アンドレ・ザ・ジャイアント△&カネック


【②】1982年6月26日(土)、北海道・遠軽町総合体育館
第9試合(メインイベント)
6人タッグ、60分3本勝負
アントニオ猪木&ハルク・ホーガン&藤波辰巳(2-0)ディック・マードック&カネック&スコット・マギー●
①日本組(反則勝ち、11分0秒)
②猪木(体固め、3分23秒)マギー


【③】1982年7月7日(水)、飯田市勤労体育センター
第9試合(メインイベント)
6人タッグ、60分3本勝負
アントニオ猪木&ハルク・ホーガン&谷津嘉章(2-1)アンドレ・ザ・ジャイアント&カネック&スコット・マギー●
①谷津(片エビ固め、8分6秒)マギー
②(両軍リングアウト、4分35秒)


【④】1982年7月8日(木)、神奈川・横須賀市総合体育館
第9試合(メインイベント)
6人タッグ、60分3本勝負
アントニオ猪木&ハルク・ホーガン&藤波辰巳(2-0)◯アンドレ・ザ・ジャイアント&ディック・マードック&カネック●
①日本組(反則勝ち、9分42秒)
②猪木(バックドロップ➡️体固め、2分52秒)カネック


【⑤】1982年11月25日(木)、岡山武道館
第9試合(メインイベント)
▽MSGタッグ・リーグ公式戦、45分1本勝負
アントニオ猪木&ハルク・ホーガン(ブレーンバスター➡️体固め、6分12秒)カネック●&ペロ・アグアヨ


【⑥】1982年12月2日(木)、豊田市体育館
第8試合(メインイベント)
6人タッグ、60分1本勝負
アントニオ猪木&◯ハルク・ホーガン&藤波辰巳(体固め、10分11秒)ディック・マードック&マスクド・スーパースター&カネック●


【⑦】1982年12月6日(月)、仙台・宮城県スポーツセンター
第9試合(メインイベント)
▽タッグマッチ、60分1本勝負
◯ハルク・ホーガン&藤波辰巳(アックス・ボンバー➡️体固め、14分45秒)ディック・マードック&カネック●


【★⑧】1983年5月11日(水)、福島市体育館
第6試合
IWGP決勝リーグ戦、60分1本勝負
◯ハルク・ホーガン(アックス・ボンバー➡️体固め、5分0秒)カネック●


【⑨】1983年5月14日(土)、静岡・沼津市体育館
第9試合(メインイベント)
▽タッグマッチ、60分1本勝負
アントニオ猪木&ハルク・ホーガン(体固め、9分12秒)アンドレ・ザ・ジャイアント&カネック●


【⑩】1983年5月17日(火)、松江市総合体育館
第9試合(メインイベント)
▽タッグマッチ、60分1本勝負
アントニオ猪木&ハルク・ホーガン(延髄斬り➡️体固め、9分59秒)アンドレ・ザ・ジャイアント&カネック●


【⑪】1983年5月22日(日)、延岡市民体育館
第9試合(メインイベント)
6人タッグ、60分1本勝負
アントニオ猪木&◯ハルク・ホーガン&木村健吾(アックス・ボンバー➡️体固め、11分45秒)アンドレ・ザ・ジャイアント&ビッグ・ジョン・スタッド&カネック●


【⑫】1983年7月31日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
□ハルク・ホーガン&グラン浜田(2-1)カネック&ペロ・アグアヨ■
①ホーガン(アックス・ボンバー➡️リングアウト勝ち、5分42秒)カネック
②アグアヨ(プランチャ➡️体固め、3分35秒)浜田
③ホーガン(カネックがフライング・ネックブリーカー・ドロップを決めた際にレフェリーに接触➡️反則勝ち、2分16秒)カネック


【★⑬】1984年9月2日、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
WWF世界ヘビー級選手権、時間無制限3本勝負
《王者》△ハルク・ホーガン(1-1)カネック△《挑戦者》
①ホーガン(アックス・ボンバー➡️体固め、10分15秒)
②カネック(イス攻撃➡️反則勝ち、5分33秒)
③(両者反則、4分54秒)
※ホーガンが王座防衛。
《※》決勝の3本目は本当はカネックがリングアウト勝ちを収めるも、WWF王座はリングアウト勝ちでは移動しない事を理解していない観客がカネックが新王者になったと勘違いして騒ぎはじめ、慌てた団体側がこの事態を収集するために、両者反則の引き分け裁定にくつがえしたという説が有力。

☆vsアンドレ・ザ・ジャイアント 生涯戦績

カネックはアンドレに対して自信を持ってたのか、メヒコではアンドレにいつもガンガンにアグレッシブに攻めてますよね。

83年1月にアンドレがメヒコに遠征した2試合では雑誌の文章には一切記載されてませんが、掲載写真を見る限りカネック&アグアヨが(とくにアグアヨが)明らかにセメント仕掛けてますよね。

えげつない蹴りや2人で鉄柱へうちつけてる姿、アンドレ1人に対してカネック&アグアヨが2人でのダブル・トペ・スイシーダを見舞っては…初の大巨人投げまでやっちゃってます…

またカネックもマスクをはがされた形跡がありますし、何より試合後のぼーぜんとしたアンドレの表情がすべてを物語ってるのではないでしょうか。

当時のプロレス月刊誌を見てみると、この試合の直前に参加したMSGタッグ公式戦でも不穏な試合と化した雰囲気なんですよ。

デラックスプロレスのインタビューでもアグアヨが


アンドレ組には勝ちたかった。奴はメヒコに来てもスタイルを合わせようとしない。

他の外国人選手は合わせようと努力するのに、奴は…腹ただしい」


という感じの事を語ってましたので、やっぱり仕掛けたのだと思います。

それとこの83年1月の遠征からアンドレはメヒコでルードの立ち位置になったと記載されてましたので、そういう流れも考えるとやっぱり仕掛けたんですね、たぶん。


84年2月のメヒコでシングルにてストレートで勝った試合なんかは、アーム・ホイップで巻き投げ、アイリッシュ・ホイップで放り投げ、アンドレをロープに飛ばしてあのアンドレにロープ・ワークをさせて返ってきたどころをショルダー・スルーでひっくり返し投げ、リング中央にダウンするアンドレにコーナー最上段からフライング・ボディ・プレスを見舞い、さらにはボディ・スラムでぶん投げるという…アンドレがいくら器の大きい人間だとしても、カネックに対してここまで大出血大サービスするとはちょっと驚愕してしまいますよねぇ…。


アンドレにとってメヒコは大事なマーケットの1つだったのでしょうが、それでもペソとして払われるギャラは普段アメリカの団体から貰ってる額に比べたらそんなにならなかったと予想できますしね。


ちなみに当時のファイト紙にてカネックがこの試合をそれまでの自身のキャリアにおけるベストバウトだと語ってましたが、それは現在ではおそらく生涯のベストバウトになっていると思われます。


そんなこんなでアンドレとの通算対戦戦績を記載させて頂きますね。

あくまで確認できたものであり、メヒコの地方で行われて確認できてない試合もあるかと思われます、念のため。


★はシングル戦になります。


【★①】1979.6.1(金)、高松市民文化センター
第8試合
▽MSGシリーズ決勝リーグ戦、45分1本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント(ヒップ・プレス➡️体固め、1分23秒)カネック●


【②】1980.8.31、パラシオ・デ・ロス・デポルテス
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&アンヘル・ブランコ(2-1)カネック&コロソ・コロセッティ&セサール・バレンティーノ●


【③】1980.9.1、アレナ・プエブラ
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&佐山聡(?)カネック&ペロ・アグアヨ&コロソ・コロセッティ


【④】1980.9.2、アレナ・アカプルコ
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&アンヘル・ブランコ(?)カネック&ビジャノ?&セサール・バレンティー


【⑤】1980.9.7、パラシオ・デ・ロス・デポルテス
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&エル・ソリタリオ(2-1)カネック&ドクトル・ワグナー&アニバル●
①カネック(反則勝ち、7分30秒)アンドレ
アンドレ(胴絞め、4分17秒)アニバル&ワグナー
アンドレ(体固め、5分46秒)ワグナー


【⑥】1981.9.27、アレナ・メヒコ
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&小林邦昭(2-1)カネック&ピーター・メイビア&コロソ・コロセッティ●

【⑦】1981.9.28、アレナ・プエブラ
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&エル・ソリタリオ(2-0)カネック&ピーター・メイビア&コロソ・コロセッティ●


【⑧】1981.9.29、アレナ・パチューカ
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&エル・ソリタリオ(2-0)カネック&ピーター・メイビア&アニバル●


【⑨】1981.9.30、パラシオ・デ・ロス・デポルテス
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&エル・ソリタリオ(2-1)カネック&ピーター・メイビア●
①ソリタリオ(回転エビ固め、5分14秒)カネック
②カネック(体固め、3分55秒)ソリタリオ
アンドレ(カネックへソリタリオを投げつけるようにしてプランチャを炸裂➡️リングアウト勝ち、7分11秒)カネック


【⑩】1981.11.25(水)、熊本市体育館
第7試合
▽MSGタッグ・リーグ公式戦、45分1本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ(アンドレ=体固め、6分33秒=マキナ)カネック&スペル・マキナ●


【⑪】1982.5.16、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽ハンディキャップ・マッチ、時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント(2-0)カネック&キラー・キム●
①?
アンドレ(反則勝ち)カネック組


【⑫】1982.5.23、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グアハルト(1-0)カネック&キラー・キム


【⑬】1982.11.29(月)、岐阜産業会館
第7試合
▽MSGタッグ・リーグ公式戦、45分1本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&レネ・グレイ(アンドレ=ヒップ・プレス➡️体固め、5分42秒=アグアヨ)カネック&ペロ・アグアヨ●
【※】アグアヨがアンドレに仕掛け、ちょっとした不穏試合と化す。➡️この1カ月後のメキシコでの妙な試合になる伏線となった?


【⑭】1983.1.9、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
◯カネック&ペロ・アグアヨ(2-1)アンドレ・ザ・ジャイアント&アブドーラ・タンバ●
①タンバ(ダイビング・ボディ・プレス➡️体固め)アグアヨ
②カネック(リングアウト勝ち)タンバ
③カネック組(レフェリーに暴行➡️反則勝ち)アンドレ

【⑮】1983.1.16、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
△カネック&ペロ・アグアヨ(2-1)?(1-1)?アンドレ・ザ・ジャイアント&アブドーラ・タンバ△
①カネック(反則勝ち、10分50秒)アンドレ
アンドレ(反則勝ち)カネック
③(両者リングアウト、6分15秒)
※③アンドレ(リングアウト勝ち、6分25秒)カネック?
…2通りの報道有り。
【※】カネックがアンドレ
初めてぶん投げる!!


【★⑯】1983.5.9(月)、秩父市民体育館
第8試合(セミファイナル)
IWGP決勝リーグ戦、60分1本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント(ヒップ・プレス➡️体固め、1分49秒)カネック●

【⑰】1983.7.10、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
◯カネック&ペロ・アグアヨ(2-0)アンドレ・ザ・ジャイアント&ルイス・マリスカル●
①(?)
②カネック(反則勝ち)アンドレ
《※》カネック、アンドレに初めて単独のトペ・スイシーダを決める事に成功!!


【⑱】1984.1.15、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
◯カネック&ペロ・アグアヨ&フィッシュマン(2-1)アンドレ・ザ・ジャイアント&アブドーラ・タンバ&カオス●
①タンバ(体固め)アグアヨ
②アグアヨ(体固め)タンバ
③アグアヨ(急所打ち➡️反則勝ち)アンドレ
《※》通算2度目の大巨人投げに成功!!


【★⑲】1984.2.12、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
『ルチャ・リブレ50周年記念興行&フランシスコ・フローレス氏プロモーター生活50年祝い
第5試合(セミファイナル)
▽特別試合、時間無制限3本勝負
◯カネック(2-0)アンドレ・ザ・ジャイアント●
①カネック(急所打ち➡️反則勝ち、9分47秒)
②カネック(マスクを全て破り取る➡️反則勝ち、8分36秒)


【★⑳】1985.5.15(水)、長崎国際体育館
第8試合(セミファイナル)
IWGPヘビー級王座挑戦者決定トーナメント1回戦,30分1本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント(ヒップ・ドロップ➡️体固め、4分59秒)カネック●
※1回戦敗退。
《☆マスク》プエブラ製、赤(新?)ラメ、金ふちどり、頬の模様=アギラを着用。


【21.】1992.4.19、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&クラッシャー・バンバン・ビガロ&ランボー(2-0)カネック&ビジャノⅢ&ビジャノⅤ
①ビガロ(体固め、8分50ビジャノⅢ
アンドレ(体固め、6分35秒)カネック


【22.】1992.4.24、アレナ・ネサワルコヨ
▽時間無制限3本勝負
アンドレ・ザ・ジャイアント&クラッシャー・バンバン・ビガロ&ドクトル・ワグナーJr.(2-0)カネック&ビジャノⅢ&フィッシュマン●
アンドレ(回転エビ固めを押し潰して➡️体固め)フィッシュマン
ビガロ(体固め)カネック
②ビガロ(嘘の急所打ちを認められ➡️反則勝ち)カネック

【23.】1992.4.26、エル・トレオ・デ・クアトロ・カミノス
▽時間無制限3本勝負
◯カネック&ビジャノⅢ&ビジャノⅤ(2-1)アンドレ・ザ・ジャイアント&クラッシャー・バンバン・ビガロ&ランボー
アンドレ(体固め、6分30秒)ビジャノⅢ
②カネック(反則勝ち、4分58秒)ビガロ
③カネック(仲間割れしたアンドレがエルボー➡️体固め、7分22秒)ビガロ
ビジャノⅢ(ウラカン・ラナ)ランボー

☆カネック 誇らしき外交戦績の内訳

カネックはご存知、長年に渡りUWA世界ヘビー級王者に君臨しては『メヒコ最後の砦』として、メヒコを来襲するトップ外国人を相手に華々しい活躍と実績を誇っては『メヒコの帝王』の名を欲しいままにしていたわけですが、

グラン浜田いわく、80年代前半のメヒコでのカネックは神憑っていて猪木よりも戦績が良かったと語ってましたが

Gスピリッツなどの専門誌でも書かれてたように、カネックのメヒコでの外国人相手の通算戦績はほとんどの選手に勝っている…または勝ち越しているんですね。


例えば猪木とはわずか1度だけの対戦で、ストレートで負けてますが、外国人に負け越したのはこの猪木だけなんですね.


まぁこの試合の敗北も、カネックがUWA世界ヘビー級王者になってまだ8ヵ月で大エースとしてそんなに定着していなかったと思われることと、カネックの本格的な対外国人路線というはこの猪木戦が初めてみたいな感じでメヒコのファンも外国人に負けるな!!という感覚はまだなかったようなので、地元のエースのカネックが負けることになったのはとくに問題なかったからだと思うんですね。


あとはホーガンと1度だけ実現したシングル戦で引き分けて…この猪木に唯一負け越し、ホーガンと唯一引き分けた他は、すべて勝つor勝ち越しているわけなんです。


カネックが外国人を相手にしたシングル戦・通算戦績をざっと記載させて頂きますと


◯テムヒン・モンゴル(若手時代のキラー・カーン)(1勝0敗0分)

アントニオ猪木(0勝1敗0分)

◎タイガー・ジェット・シン(2勝1敗2分?)

ストロング小林(2勝0敗0分?)

◎バッドニュース・アレン(5勝0敗0分?)※80年代の通算戦績。90年代以降のはノー・カウント

◎ビル・ロビンソン(5勝1敗0分)

◎ジ・アセシノ(トーマス・レネスト)(2勝0敗0分?)

◯パット・パターソン(1勝0敗0分)

◎トニー・ロコ(ドン・コルレオーネ)(おそらく4勝1敗2分?)

長州力(4勝1敗1分?)

藤波辰巳(2勝1敗0分)※カネックがUWA世界ヘビー級王者になってからの通算戦績であり、若手時代の戦績はノー・カウント。

アンドレ・ザ・ジャイアント(1勝0敗0分)

△ハルク・ホーガン(0勝0敗1分)

◯スタン・ハンセン(1勝0敗0分)

◎ビッグバン・ベイダー(2勝1敗1分)

◯TNT(1勝0敗0分)



このような感じになるのですが、実は…タッグ戦を含めてピン・フォール&ギブアップでの完全勝利を奪ったというのは実は物凄く少ないんですよね。


試合の決着を決定する決勝ラウンドではなく、3本勝負のうちの1本だけでもフォール勝ちできてないケースが多々あるわけでして。


例えば猪木やアンドレやハンセン、ホーガン、ブッチャー,バックランドなどと言った世界クラスの真のトップ選手からは、カネックがフォール負けを献上しても、タッグ戦を含めカネックが3本勝負のうちの1本でもピン・フォール勝ちを奪う事は出来ておりません。



シン、ロビンソン、アレン、パターソン、アセシノ、トニー・ロコ、S小林、ブレイク前の長州、藤波、さらに付け加えると外国人ではなく同国人のトップ選手であるマスカラス達からは3本のうちの1本をフォール勝ちを幾度も奪ってますが


9度もメヒコ来襲して長く抗争を展開したアンドレからはシングル&タッグ含め、反則勝ちを何回か奪ったのみでフォール勝ちは0ですし


ハンセンからも反則勝ち以外ではリングアウト勝ちが1回(1本)ありますが


ホーガンからはタッグ&シングルの2試合で反則勝ちのみ


バックランドとはシングル戦は実現せず、タッグでしか対戦してませんが、そのバックランドからもフォールを奪った記録は皆無で


3年という…結構長く因縁の抗争を繰り広げたブッチャーからもリングアウト勝ちが最高峰で…結局フォール勝ちはできてないんですね。


ベイダーからはフォールを奪ってますが、ベイダーは時代も時代でしたし、日本でも随時フォール負けを献上してましたからね。


メキシコのファンは単純で反則でもなんでも勝てば喜ぶらしく、そういう事もあってフォール負けを無理強いする必要も無かったのでしょうね。


まぁ、こういう形での凄い戦績っていうのもカネックらしいといえばカネックらしくて、なんか嫌じゃないですけどもね。


参考までに晩年期に差し掛かった90年代に入ってからの外国人を相手にした大雑把な戦績は

クラッシャー・バンバン・ビガロ

グレート・コキーナ

ブレイド・ブッチ・マスターズ(ヒガンテ・ウォリアー)

オーエン・ハート(ブルー・ブレイザー)

ダニー・クロファット

ダグ・ファーナス

タイガー戸口

ミゲル・ペレスJr.

ロードブリック

ジェイソン・ザ・テリブル

ノーマン・スマイリー



などからフォール勝ちしてます。

☆カネック 実現して欲しかった夢のカード

今回はカネックにまつわる幻のカードというか夢のカード、対戦が実現して欲しかった相手を挙げさせて頂きたいと思います。


まずはダイナマイト・キッドですね!

カネックとキッドは81年春に来日した際に意気投合して2人は仲が良かった事は有名ですが、そんな同世代の名選手のキッドとの対戦は意外に噛み合ってスイングしていい試合を魅せてくれたように思うんですよね。

タッグでもいいから1度だけでも実現して欲しかったなぁ。

85年春にはメヒコ来襲が具体的に予定されていてシングル戦も内定していたのに…あれは惜しかったなぁ。。。


そしてやっぱりブルーザー・ブロディとのシングル戦は是が非でも実現して欲しかったです。


新日に移籍した85年秋にブロディのメヒコ初来襲が予定されていたのに直前に起きたメキシコ大地震にて幻に終わってしまったわけですが、当初はカネック&マスカラスvsブロディ&アグアヨが予定されていたとありましたが、最終日にはトレオでカネックの王座に挑戦する形で2人のシングル戦が組まれていた可能性は高かったでしょうね。。。

本当に悔やまれます。。。

カネックのキャリアにブロディとシングルで闘った事が無いというのはオレ的にこれ以上とない痛恨の極みになっております。

ま、'85IWGPタッグ・リーグ公式戦にて日本で1度だけ対戦している事でなんとか救われてますが。。。


世代的にちょっとだけズレ込む感じがする殺人医師ことスティーブ・ウィリアムスとも6人タッグでもいいから1度 実現して欲しかったなぁ…!!

カネックとウィリアムスといえば88年秋に来日した時に一緒になっているのですが、2人の絡みは地方の6人タッグなどで組むことも無く…接点は皆無同然だったんですよねぇ。

まぁ ハンセン&ホーガンを相手にした時みたいに全く噛み合わずに全く敵わなかったと思いますけども…それでも実現して欲しかったです。

ウィリアムスは86年夏に新日に初来日する前の、世界のプロレスで観てた時から『 まだ見ぬ強豪 』的に注目してきて 個人的に非常に愛着があるレスラーの1人だったので かえすがえす惜しいなぁ…。。。


あとマーク・ロコこと初代ブラック・タイガーとも何らかの形で実現していて欲しかった惜しまれる幻のカードになりますね。

キッド同様に上手く噛み合ってスイングしていい試合を展開していたように思います。


他には生粋のアメリカン・レスラーだからなのか メヒコ遠征には全く興味を示さなかった感じがするディック・マードックやマスクド・スーパースター、アドリアンアドニスらとのシングル戦も実現して欲しかったですけども、なんか全く噛み合わなくてシラケた試合になっていたと思いますけども。。。


さらにはボブ・オートンJr.やバズ・ソイヤーといった度が過ぎるくせ者達との対戦が実現してたら嬉しくて仕方なかったのですが、それはそれでちょっと危なっかしくて怖い感じがします!…(汗)


85年に初来日しては売り出されかけながらうまくいかなかったキングコング・バンディやハクソー・ヒギンス、ケビン&ケリーのエリック兄弟との対戦も実現していれば…オレは もぉこの世に思い残す事なく満足しきって 今頃 死んでたかもなぁ。。。


ちょっと非現実的に言って全日の常連達だったハーリー・レイス、ニック・ボックウィンクル、ザ・ファンクス、テッド・デビアス、ディック・スレーター、テリー・ゴーディらとの絡みも観たかったですが、あの時代ではちょっと現実離れしたカードになるのでイマイチ実感がわかなくて本当に観たかったという想いが無いってのが本音なんですよね。


ロード・ウォリアーズやスティング、アルティメット・ウォリアーといった感じのレスラー達との絡みを観たかったとは全く思わないのは何故なんでしょう。。。


あ、UWFでならした後の前田日明&高田延彦との絡みも観たかったんだっけ!!

☆カネックに対する新日のマッチ・メーカー批評②

【★ミスター高橋(83年8月~88年3月)】
1984.6.29~8.2『サマー・ファイト・シリーズ』(全31戦)&8.6~8.15『パキスタン遠征』(全5戦)
⑨1985.5.10.~6.13『'85IWGP&WWFチャンピオン・シリーズ』(全29戦)
⑩1985.11.15~12.12『'85IWGPタッグ・リーグ戦シリーズ』(全25戦)
⑪1986.4.11~5.1『ビッグ・ファイター・シリーズ』(全17戦)
⑫1987.1.2~2.5『ニュー・イヤー・ダッシュ'87』(全27戦)

《※》84年夏のシリーズ&パキスタン遠征ではJr.ヘビーのコブラ&小林邦にもフォール負けをした忌まわしきシリーズですね。

ですがTVマッチには4試合も恵まれては、地方&ノーTVマッチを統括して藤波(2回)、長州(2回)、谷津、木村健、ヒロ・マツダコブラ(2回)、小林邦(2回)、寺西、などとやたらシングル戦が組まれてるんですよね。

ミスター高橋は意外にカネックを評価していたのでしょうかね。

まぁシングル戦のほとんどをピン・フォール負けさせられてますけども。。。

'85IWGPではトーナメント初戦でメヒコで因縁のアンドレに負けて早々とお役ごめんになるわけですが、マニアが喜びそうなアンドレと対戦させるあたりやはりミスター高橋はなかなかカネックをよく見ている証しかもわかりませんね。

ですが、このシリーズからいよいよTVマッチにすら恵まれなくなっていくのです。

このシリーズは開幕戦の地方限定放送で1回あったのみで、次の'85IWGPタッグ戦&翌86年春の来日は遂に0!!

翌87年新春の来日では武藤の噛ませ犬役でたったの1回という。。。

そしてまたミスター高橋マッチメーカーを受け持ったシリーズのほとんどがカネックにとって何のテーマも持たず若手との対戦がやたら目立つわけで…多少高いギャラを払ってまで何のためにわざわざカネックを呼んだんだろな……。。。

そんなこんなでカネックに対するマッチ・メーカー=ミスター高橋へのオレ的評価は5ッ星中…星2つです‼️



【★長州 力(88年4月~)】

⑬1988.5.24~6.26『'88IWGPチャンピオン・シリーズ』(全29戦)
⑭1988.10.7~10.27『闘魂シリーズ』(全16戦)


《※》この88年に来日した2シリーズとも昔を懐かしむように長州&藤波と幾度も対戦してるのが特徴的だなぁとずっと思っていたですが、それは長州がマッチ・メーカーに就いたからだったのでしょうね。


長州がカネックに対して敬意を払い、配慮したのかな…?


ですが、IWGPチャンピオンシリーズではタイトル戦が連発されたにも関わらずカネックはかすりもしないどころか、地方やノーTV会場などでちょっとは大きなカードが組まれることもないわ、TVマッチにも1試合も恵まれる事なく、今回もまたカネックへのテーマは何も無いシリーズと化したわけでした。。。


秋のシリーズではテレビ・マッチは3週だけだったのですが,カネック&アグアヨは3週ともテレビ・マッチに恵まれてるのは大いに評価すべき点でしょう!!

また、前シリーズにフォール負けした小林邦との再戦では引き分け、敗れたものの平田淳二時代に抗争したマシンとのシングル戦=異色のマスクマン対決や、猪木の闘魂復活7番勝負の相手の7人に当初は選ばれていなかったものの、メヒコ視察のために欠場になった坂口の代打で番外戦として対戦しては試合時間が珍しく5分超えてる…などといった好遇っぷりもすべてはかつてのライバルでもあった長州のおかげだったんですね。

そんなこんなでカネックに対するマッチ・メーカー=長州 力へのオレ的評価は5ッ星中…星3.5です‼️


まぁまぁ良く思っております!

☆カネックに対する新日のマッチ・メーカー批評①

今回は、新日の歴代のマッチ・メーカーのカネックに対する評価・扱い方を寸評してみたいと思います。


【★山本小鉄
①1978.3/3~3/30『ビッグ・ファイト・シリーズ』(全21戦)


《※》カネックが初めての来日という事もあってか、なかなか良い扱いのシリーズとなってますね。

新日はカネックを大々的に売り出していく予定だったことも記載されてますし、馬場さんのところのマスカラスに匹敵するような集客力を誇ってくれることを期待していたのでしょうか。

また、このシリーズではマッチ・メーカー山本小鉄も自らカネックとのカードを組んで対戦している事に興味が注がれてしまいます。

まぁ、そんなこんなでカネックに対するマッチ・メーカー山本小鉄氏へのオレ的評価は星5ツ中…星3.5です‼️



【★坂口征二(78年9月~83年8月)】
②1979.4.27~6.5『第2回MSGシリーズ』(全38戦)
③1981.4/3~4/23『ビッグ・ファイト・シリーズ』(全17戦)
④1981.11.19~12.10『第2回MSGタッグ・リーグ戦シリーズ』(全20戦)
⑤1982.6.18~7.8『サマー・ファイト・シリーズ』(全19戦)
⑥1982.11.19~12.10『第3回MSGタッグ・リーグ戦シリーズ』(全22戦)
⑦1983.5.6~6.2『第1回IWGP決勝リーグ戦』(全28
戦)


《※》そもそもカネックの威信が決定的に墜落したのは'83IWGPからなわけですが、実はその1つ前のシリーズの82年末の第3回MSGタッグ・リーグ戦にてもはや扱いが一気に悪くなってきてるんですよね。

タッグ・リーグ公式戦ではほとんど敗北を喫したわけですが、猪木&ホーガン組に5分で黒星を喫した時の負け役はアグアヨではなくカネックでしたし、半年前の蔵前では豪快な内容で押しては引き分けた藤波とのシングル再戦では呆気なくフォール負けしましたし、地方のタッグ戦などでも幾つかボロ負け喫しては、とくに目立つ活躍が全く見られないままに…トップどころのレスラー達とカネックの立ち位置・価値がキッチリ線引きされた・格差付けされたシリーズと捉えてます。

この次に来日した'83第1回IWGPにて見事なまでの白星配給係となってはアンドレに1分で敗れ、ホーガンに5分持たずに敗れ、猪木には3分で惨敗し、隠れた実力者達のカーン、R木村、スタッドにも簡単に敗れ、売り出しかけた新星・前田にも完敗を喫するという…散々な姿を披露してはカネック・ファンにとどまらずに多くのルチャ・ファンの希望を奪われた忌まわしきシリーズとなりました。。。

さらにはこのIWGPでのカネック&ベラの失態に加え、この年の年末の全日の最強タッグに参加したマスカラス&ドスがまた思い切り低迷した事が相重なってはルチャ・ファンがプロレスから冷めたひとつの転換期だったことを幾人の方々から耳にしましたが…紛れもなく自分もそうでした。。。(泣)

この時期から約1年近くあんなに大好きだったプロレスをもぬけの殻的にテキトーに観てた自分がいたんですよね。

皆さんはどうでしたでしょうか…。

そんなこんなで中頃まではなかなか扱いが良かったと思われながら終盤は酷い扱いをほどこしたカネックに対するマッチ・メーカー=坂口征二へのオレ的評価は前半はなかなか良い扱いをしてくれた恩恵を重んじて5ッ星中…星3つです‼️