★『メヒコの帝王』カネックの魔豹なる記録達。

こんにちは。ここでは自分が子供の頃から大好きなルチャ・ドール カネックの偉大さや記録的な事をつづらせて頂きたいと思います。よろしくお願い申し上げます!

☆カネックの名パートナー

かつて人気を博してシリーズ化した雑誌プロレス・アルバムのなかの『ニュー・ウェーブ7』のなかの1ページに、モノクロのドリー・ファンクJr.の写真に


【俺のタッチを受けるのはどいつだ】


なんてカッコいいフレーズがつけられてありましたが、そんなこんなで今回はカネックのパートナーについてイッてみたいと思います。



シングルプレイヤーとして成功している選手は、協力しあったりパートナーの為に犠牲になったり引き立てたり…多少なりとも裏方にまわるのに抵抗があり、あくまで主役でいたがるが為にタッグは不向きと言われてますね。


有名なところではアントニオ猪木に名パートナーがいなかったのもそういう理由だったと確かミスター高橋氏の書籍のどこかにつづられてましたが、なるほど、頷けますよね。


もちろん、坂口さんのように徹底して引き立て役にまわってくれる人がいれば別でしょうけども。


そういう意味でカネックもまたメヒコでは偉大なる名シングル・プレイヤーであるが為に過去に名パートナーがアグアヨ以外にはそんなにいなかったのかもわかりませんね。

 
ちなみにさかのぼってカネックの歴代のパートナーをさぐってみますと


新日に初来日を果たした78年前後あたりは

★ドクトル・ワグナー



自身の一番のピークと言われる82年には
 


★ベビー・フェース

★ビジャノⅢ



あたりと気心が知れた間柄的に組んでますね。


そして同年82年10月頃には



★ペロ・アグアヨ

★フィッシュマン



の2人が和解を果たすと同時期にこの2人と組むようになり、この3人はまさにレジェンドを築いたわけです。


皆が夢中になったように私もこれ以上とないくらいにこの3人のユニットに夢を馳せ、血沸き肉踊り、心踊らされたものです。




そして84年秋くらいにはEMLLとの交流の関係でこの3人にプラスして



★エル・サタニコ



が、加わる感じになるのですが、このサタニコが超絶実力派ルード、かつ小林邦昭のようなアクの強い面構えでかなり良かったんですよねぇ。


個人的にカネック&ペロ・アグアヨ&フィッシュマンは最高だと実感してますが、カネック&ペロ・アグアヨ&エル・サタニコもかなりのお気に入りなユニットで、言わば最至高でした。



そして85年1月には、UWAにてルードにばかり人気選手がかたよってしまい、リンピオ選手にスター選手が少なくなってしまった……という理由にてカネックにリンピオ転向の話しが持ち上がり、これに乗ってカネックが75年1月のUWA旗揚げ戦から本格的にレスラー人生が始まったとして、デビューして10年して遂に初のリンピオ転向を果たすと



★ドス・カラス

エンリケ・ベラ



と、現・前・元UWA世界ヘビー級王者のユニット『ロス・ポデロソス』(権力者達という意味合いらしいです)というアグアヨ&フィッシュマンらとはまたちょっと違う意味で恐ろしいユニットを結成して、5月くらいにUWAとフリー参戦を交わした



★ミル・マスカラス



ともほんの一時ながら組む事になります。


マスカラス&ドス&カネックというのも、これ以上ない贅沢なユニットでしたが、マスカラスが入ってしまうとどうしても2番手においやられるが為、また表記する際に兄弟という理由にてマスカラスの次にドスが表記されカネックは3番目になり…3人のなかで一番の主役であるのにも関わらず、あたかもこの3人のなかで一番下っ端のようなイメージを与えるが為に、個人的にはあんまり好きなユニットではありませんでしたねぇ。


86年に入ると



★コバルデ2号


が、カネックの子分的な形にてカネックと組むようになるのですが、マスクの模様が良かったこともあり、個人的にカネックを語る際はこのコバルデ2号は外せない選手となってます。


旧友のアグアヨ&フィッシュマンとの抗争の際にいかんなく頑張ってくれたイメージもあり、あの時のコバルデ2号に心から《ムーチョ・グラシアス》と言わせてください。



そして同年の86年春あたりくらいからはアグアヨがリンピオに転向したが為に再抗争を展開する事になる



★フィッシュマン

★アブドーラ・タンバ



と組むようになりますね。


ちなみに86年8月17日にメヒコ遠征した藤波&木村健を迎え撃った時のパートナーはフィッシュマンでしたが、当初はタンバと発表されてましたね。


直前に変更になるあたり、新日90年2月10日東京ドーム大会で、天龍が大会直前になってパートナーを川田から三沢タイガーに、長州が小林邦からG高野に変更した時を彷彿してしまいますね。


この年以降は本格的なパートナーは居なかったと思いますので、このへんで終わりにしたいと思います。



ちなみに日本では



★スペル・マキナ

★ペロ・アグアヨ

エンリケ・ベラ



が、馴染みのパートナーではないしょうか。


ではでは最後に、統括的に個人的な考察にて個人的な嗜好でカネックの名パートナーを順位づけさせて頂きますと



①ペロ・アグアヨ

②ドス・カラス

③コバルデ2号

④ベビー・フェース

⑤ドクトル・ワグナー




に、なりますでしょうかね。


皆さん的にはどうでしょうか。

⭐カネックの人柄③

【■独裁的】

1989年頃に突如UWAに現れ、カネックの次の次期エースと称されながらも結局はUWA世界ヘビー級王者に1度も就く事が出来なかったキューバ人の大型ルチャ・ドールことコナン・エル・バルバロがかつて、カネックが渋ったが為に自分が新しいUWA世界ヘビー級王者になること、トップに立つ事が実現できなかった旨を語ってましたね。



さらには、近年に発売されたGスピリッツのなかでもペロ・アグアヨが1988年3月にUWA世界ヘビー級王者に就いたもののすぐに奪還された経緯について



『カネックが我が強くてダメだったんだ』


なんて発言してましたね。




【■血液型】

ちなみに性格って血液型によって基本的なパターンがある説がありますけども、そもそもカネックの血液型って何型なのか…?


これがいまだに聞いた事がなくてわからなくているのですが、オレ的にはA型のように思うんですよねぇ。


A型の人の性格って、ちょっと神経質で、まわりに自分のイエスマンばかりを置いて常に自分が一番主役でいたがる…そんな性格をしてると友人に聞いた事があるのですが、例えばオレが大好きな長渕 剛やプロレス界で言えば大仁田 厚が代表的なA型になるのですが、


剛なんかは2004年夏の桜島ライブをやり終えた以降は、長年のバンドメンバーを切っては名も知らぬような自分の言う事をききそうなイエスマン風なバンドメンバーばかり集めてバンドスタイルに路線変更して…独裁的な雰囲気を隠す素振りも見せなくなりましたからね!(汗)

常に自分が主役でいたがるのはずっと昔から変わらないし、神経質なのも自分で公言してるくらい有名ですから、まぁ〜 典型的なA型ですよね!!


大仁田なんかも誰がどう見ても紛れもなく典型的なA型ですよね!!


そんな感じでカネックも神経質だとは聞いた事はありませんが、日本に来たら不甲斐ないし猪木など苦手な選手にはあまり向かっていかない気の弱さがあるので、気が弱い=神経質=メンタルが弱りやすい ⇨A型、またはAB型の気質がありますし


UWAのトップを最後まで譲らなかった 自分が主役でいたい気質などから単純に考察して、やはりカネックはA型なのではないでしょうかね。


でもカネックに親しい友人はB型っぽいと言うのですが、B型のこだわったらとことんこだわる・職人気質なところはあの肉体維持のために練習好きで知られるあたり…なるほどB型っぽい気もするなぁ。。。



【■生まれた日占い】

皆さんは生まれた日占いというのをご存知でしょうか?

生まれた日によって何日生まれの人は前世は⚪⚪だった人で、性格は◇◇な人!…的な事がわかるという主旨の占いなんですが、


最近ちょっと勉強がてらそういったサイトを見て自分や家族&友人のを照らし合わせてみたのですが、これが実に的を得てて当たってるんですよ!


この生まれた日占い的に言うと、カネックは19日生まれなので


1+9=10⇨


【王様気質】【そのグループのなかで一番になりたがる】【リーダー気質】




なんてつづられていたのですが



まさに ドンピシャリではありませんか!!



この生まれた日占い的に言えば、独裁的な性格は生まれながらの性分なのですネ!


ちなみに自分はカネックを長年好き過ぎて、カネックというより人間、フェリペ・エストラーダが好きなんですよ、もはやいまでは…!!


ちなみに自分の家の部屋の壁に、つい最近ネットで見つけたカネックの若き日の素顔…若き日のフェリペ・エストラーダのショットを引き延ばした写真を貼ってるんですよ。


とかなんとか語らせて頂きながら…ったく、なんか変に カネックを近くに感じて勝手に昔ながらの知人的な感覚に陥ってる 失礼な自分に怒りがわいてきましたわ…(怒)

⭐カネックの人柄②

【■銭ゲバ(ケチ)】

カネックは銭ゲバ…いわゆる守銭奴って称されてるやつだそうですね。

お金に執着している。。。



この要因もGスピリッツに記載されてたように生い立ちにあるのかもわかりませんね。


82年夏に発売されたデラプロのなかでカネックの素性についてかかれてる記事があるのですが、そのなかでブラソ・デ・プラタが


『メヒコの選手は全般的にケチではあるけど、それでもカネックは先輩なのに全くおごってくれた時がない』



というような旨ののコメントが記載されてましたけども。


さらにファンから求められるサインにも気軽に応じたりしなかったらしく、カネックいわく




『そんな事をしてなんの得があるのだ。』


という言い分らしいですけども。


まぁ、マスクを買ってくれたファンに対しては快くサインしていたのでしょうけどもね。


熱心なファンやマスクを買ってれるファンにはアミーゴ!と呼んでくれたそうですが、それも自分を熱心に応援してくれてるファンへの嬉しい感謝の気持ちでそう呼んでいたわけではなく、


単純にお金を得られる喜びからおべっかで呼んでくれていただけだったのでしょうかね…?!


これくらいお金にこだわって徹底していたからこそ、メキシカンでは異例なる成り上がり人生を成し遂げたのでしょうネ!

⭐カネックの人柄①

【■秘密主義】

Gスピリッツに掲載されてましたが、カネックが思春期にさしかかった小学6年生の頃に一番上の自分だけが最初の旦那さんの子供で、2人目以降の兄弟は新しい旦那さんの子供であることを知ってから心を閉ざすようになったらしいと記載されてますが、この流れで秘密主義な人柄になったようで


自分の友人に80年代前半に新日にしょっちゅう来日してた頃からずっとカネックと凄く親しくしてらっしゃる友人さんがいらっしゃるのですが、その方にも本名や住所は絶対に教えてくれなかったそうですが、秘密主義な性格なゆえに教えてくれなかったのでしょうかね。


また、Gスピリッツにも記載されてましたが、カネックに連絡をとりたい時はハム・リーのジムに連絡するのが常識になってたらしいのですが…もしかして 1年に1〜2度ほどの新日からのオファーもハン・リーのジムにやっていたのでしょうか…ね?!


あとプロレス誌やプロレス事典などで選手の経歴が記載されてましたが、マスカラスやドスは本名が記載されてたのにカネックの本名は記載されてるのを見た事ありませんでしたね。


それも秘密主義の性格ゆえに親しいマスコミの方にも本名は教えてくれなかったのかもわかりませんね。


また、カネックはマスカラス同様に試合以外の場でも極力 マスクを被ってる時が多いと聞きますが、それは秘密主義な性格によるものなのでしょうか?

はたまたプロとしての身だしなみによるものなのでしょうか?


それともアンチ・ハンサムと言われる 素顔を隠したいが為なのでしょうかね…?

⭐カネックが苦手そうな選手達

さて今回はスイングする選手と相対して、まるで噛み合わない、カネックが全く苦手としていた、または苦手にしていたと感じられた選手を挙げてみたいと思います。



★エル・アダウス
76~77年頃にUWA世界ライト・ヘビー級王者としてならした元マスクマンでだった選手らしく、かなりの実力者だったようで77年にカネックが地元のビジャエルモサで連続挑戦して失敗して、さらに再挑戦してまた敗北を喫したそうで。


まぁ、プロレスは真剣勝負ではないので結果だけ見て負け越してる=苦手なわけではないのですが、このエル・アダウスという選手、写真で見る限りただ者ではない雰囲気が出まくってるんですよ。


目に黒いメイクをほどこして、かの北斗晶を彷彿させるようなダークなメイクで、頭にはインドのターバンみたいなものを巻いてちょっと風変わりな出で立ちなんですね。


しかも早い時期にレスラー稼業をとっとと引退して、その後、歌手に転向したという…。


この経歴はまさにただ者では無いですよネ。


ちなみにプロレス好きで知られる芸人のケンドーコバヤシさんが、以前にプロレスを語ってる番組で『ルチャはタイトル戦はガチで…』みたいな発言をされてたんですよ。


日本女子プロレスでは80年代半ばから後半くらいまで?新人・若手同士の試合とタイトル戦の試合はあらかじめ勝敗は決められないガチで行われていた事が明るみになってますが、


メヒコではタイトル戦の際はちょっとしたパンチやストンピングすら厳重注意されるくらいに反則はご法度であり、試合内容もグランド・レスリング、グランド・テクニックなどの技術で競い合わなければならない裏掟がある事が知られてますよね。



さらに思い返してみるとメヒコでは地味な選手が王者に君臨している事が多々あったなぁ、なんて感じでメヒコではタイトル戦はガチという説も本当かも…と思いかけたのですが



……いやいやいやいや、それは無いだろなぁ。



そうは思えない結果のほうが圧倒的だし、そもそもメヒコでは階級がたくさんあるわけで、つまり王者もいっぱい存在して、リンピオ➪ルード、ルード➪リンピオ…的に随時入れ替わるわけだから、地味な選手が王者に君臨するケース、時期って自然に発生しますよね。



他に以外なところでメヒコ版のブッチャーで知られてるアブドーラ・タンバ。

82年夏頃のゴングにて急浮上してきたタンバをとりあげていた記事があったのですが、そこに当時UWA世界ベビー級王者のカネックがタンバの挑戦をことごとく避けていると記載されてました。

実際に苦手にしていたのかはタンバの映像があまりに少ないために検証しようがないので個人的見解も出しづらいです。



エンリケ・ベラ なんかもカネックは少し苦手にしている毛嫌いがある旨の記述が過去にありましたけども。


特殊な感じではブラソ・デ・プラタが控え室でカネックとケンカになってボコボコにしたらカネックがバッグからピストル出してきてプラタが逃げて勝ち逃げした、なんてエピソードが知られてますが、実際にカネックがプラタを苦手としていたかどうかは不明ですね。


カネックはプラタのお父さんからもプロレスや練習を教わったりしてるので、その息子に深い憎しみとか苦手意識とかはとくに無かったのではないでしょうかね。


同じ大型メキシカンの先輩にあたるティニエブラスに若い頃、可愛がり的にやられたと語ってありましたが早い段階で実力的に圧倒して借りを返してますね。



メヒコにおいてはそれくらいですか…ねぇ。。。

⭐続・カネックの好敵手

メヒコにおけるカネックとスイングしてた選手となるとやっぱりミル・マスカラスでしょうね。


ミル・マスカラスとも長年抗争してきましたからねね。


マスカラスとは初来日を果たす直前の77年末くらいから本格的に対戦するようになり、初シングル戦もこの年末にやってますよね。


そのマスカラスって言うまでもなく⇨相手の技を極端に受けない&終始、自分ばかりがいいカッコしてコントロールしたがる選手で有名じゃないですか。


そんなマスカラスの長年のライバルになり得たというのは実は物凄い快挙ですよネ!!


92年8月15日にW⭐ING川崎体会にて対戦した際にはこれを出したら絶対的に試合が決まるマスカラスの十八番、フライング・ボディ・アタックをカウント2で返し、マスカラスのほうからマスクに手をかけての両者反則の引き分けという…さらにはカネックのトペを受けてる点も特筆すべきポイントですよね。


くどいようですが、場外でフラフラしたフリして相手が飛んでくるのを白々しく待ってなければならない、かつ決めた相手を大きく引き上げてしまうような大技のトペ・スイシーダをマスカラスが受けるなんて!!


ちなみにマスカラスと長年に渡って本格的に抗争してきた選手ってザ・デストロイヤーくらいじゃないでしょうかね…?


引き立て役として長年に渡ってマスカラスと対戦してきた選手なら大熊元司グレート小鹿さんなどがいらっしゃいますが、ライバルの選手となると本当に少ないですよね。


弟のドス・カラスとも長年抗争してきましたけども、カネックにとってドスはライバルという役柄ではなかったですよね。


結果だけ見て言うのではなく試合内容を見る限り完全なる噛ませ犬的な存在でしたよね。


ドスはカネックの次に大好きな選手なので、'85IWGPタッグ・リーグ戦シリーズに2人で参加した時はもぉ…夢見心地のド真ん中でした。。。


本当にブルーハーツ甲本ヒロトの世界観にあるような、【生きているのが素晴らしすぎる】なんて感覚が本当にあるんだなぁ。。。なんて想い焦がれていた、私、純な少年でした。。。

⭐カネックの好敵手

皆さんから見てカネックの好敵手、というか手が合う・噛み合う=スイングしてた選手って誰に思えましたでしょうか…?


映像ではあまり見た事がないけど、個人的に雑誌に掲載された写真を見ると活き活きしてるように見えたり、イメージ的にとらえてスイングしてたように思えた、という事も含めての好敵手を記載させて頂きますね。


まず日本におきましては断然的に対戦回数が一番多かった星野 勘太郎さんですね。

星野さんは小柄だったので体格的にカネックが持ち技をいかんなく発揮できる相手だっただろうし、ライガーに突っかかっていった一時なんかは【星野勘太郎最強説】をとどろかせたあの勝ち気な性格が、日本ではあまりにも不遇な扱いを受けたが為に奥においやらたカネックの本来の闘志を多少なりとも引っ張り出してくれたような気がします。


そんなこんなでやっぱり星野さんがカネックと一番と手が合ってたように感じるんですよね。



あとは言わずもがな藤波 辰巳と、外人とはまるで手が合わないで有名ながらもカネックとだけは噛み合ってた長州 力ですね。


また、メヒコでの対戦においては圧倒的にアンドレ・ザ・ジャイアントに対して絶対的な自信を持っていたのだと実感できますよね。

くどいようですが、メヒコでアンドレと対峙してる時のカネックって…いつも度が過ぎるくらいにガンガンに攻め込んでるですよ。


かのビル・ロビンソンが亡くなる1年前くらいのGスピリッツにて81年3月から約3ヵ月間遠征したメヒコでの選手を批評していたなかで、カネックに関して




『カネックは自分が自信が持ってる相手に対しては積極的に攻めるが、自信が無い相手に対しては消極的だった。』


というような旨の発言をしてましたよね。


かつて日本のプロレス誌にて、メヒコとは比較にならないような日本での姿から【内弁慶】と称されてましたが、ロビンソンのこの言葉が最もわかりやすくうなづけるのでないでしょうか。


ちなみに見ていてカネックが自信が無い選手…苦手な選手と見てとれた第一人者は言うまでもなく猪木でしょうね。


相手の技を受けて相手を10まで引き上げた後に勝つ


がモットーの猪木がカネックに関しては技を全く受けようとしないわ、秒殺しまくるわ、カネックもやりづらいというより本当にかなわない感じが伝わってきてましたね。

初対決の79年4月22日、メヒコでの一騎討ちだけは全く別でカネックが意気揚々とハッスルしてましたが。


あ、今回のGスピリッツにて『その国のトップ選手と対戦する時はその国のトップ選手が勝つのがしきたりなのだから、猪木が79.4.22にメヒコでカネックと対戦して2-0で勝ったと報道された試合も実際は引き分けだった』と記載がありましたが、以前にも書きましたがスカパー!にて放送されたこの試合のほとんどノーカット版の映像を見る限り、残念ながら間違いなくカネックは負けております。


当時の雑誌に記載されてる通りにカネックがイスで攻撃した後にレフェリーが猪木の手を挙げ反則勝ちを宣告し、続くラウンドは猪木が延髄斬りからのブレーンバスター➜体固めにてレフェリーが確かに3カウントを叩いて猪木の手を挙げて猪木の勝利を宣告し、そのまま試合が終了してカネックが横たわってる前でNWFベルトが返還され猪木の腰に巻かれてるますので、あの試合は間違いなく猪木が勝っております。


しかも試合時間もほとんど狂いなかったですよ。


あとは『世界の荒鷲坂口征二さんとホーガンにも全くと言っていいほどかなわない、噛み合わないと実感させられました…。