さて待望の開幕を果たしたプロ野球ペナントレースですが、一途に応援すること33年、我が親愛なる昨年優勝したオリックスがよもやの低堕落にて私は早くも今季絶望感に苛まされている次第であります。
開幕前の専門家の方々からの予想ではオリックス今年も優勝あり得る!と優勝候補に挙げられていたわけですが、ここで嫌な予感がしてたんですよ。
そもそもオリックスは2008年に大躍進して2位になり翌2009年に優勝候補に挙げられた時や、最後の最後まで優勝争いしながらも成し得なかった2014年の翌年の2015年、その他もう1回優勝候補に挙げられた年に限ってまさかの最下位になってるんですよ。
なので昨年優勝した良い流れが残ってて今年も優勝あり得るぞ!とうたわれた時に『ヤバい!!(汗)』と危惧した次第なんですが…昨年は優勝まで果たしたんだし、そこまでおちるわけないよなと思ってたらジンクス通りになっちゃいました。。。
まぁまだ開幕して間もない時期ではありますけども。。。
そんなこんなで呪われた話しの流れでいきますが、カネックも幾度か参加したIWGPシリーズは言わずと知れたいわゆる呪われたシリーズで超絶有名でしたね。
プロレス界を牛耳るプロレス連合の巨大組織NWAを半目にし、新たな連合組織『IWGP』を建国するべく開催されたわけですが、その巨大組織からの手痛い仕返しとも言える呪いがかかったかのように
IWGPに参加した各国の団体のプロモーター代表が毎年亡くなり続け、参加した選手が怪我に見舞われたり帰国した後に事故に遭ったり何かしらの形で途中欠場したり、シリーズ開催中には何かしらの不穏な出来事がおきたりして…あまりに縁起が悪いということで88年にはリーグ戦やトーナメントをとりやめたにも関わらず不穏な出来事が起こり、遂に88年を最後にシリーズ名からIWGPの文字を外したといういわくつきの呪い…
ここでどんな呪われかたをしたのかおさらいしてみましょう。
《①》1983年『 第1回 IWGP決勝リーグ戦シリーズ』
【シリーズ中に亡くなったプロモーター】
※フランク・タニー氏
【欠場】
※ディノ・ブラボー(父が死去し急遽帰国)
※オットー・ワンツ(右膝を負傷し途中帰国)
※長州&浜口が途中欠場
【出来事】
※優勝戦にて猪木が失神KO負け
※長州&浜口が新団体設立に関与して辞表提出騒ぎ
【シリーズ中に亡くなったプロモーター】
※ビンス・マクマホン氏(WWF代表)
【欠場】
※ビッグ・ジョン・スタッド(負傷して途中帰国)
【出来事】
※優勝戦の蔵前で観客の暴動発生
《③》1985年『 IWGP & WWF チャンピオン・シリーズ 』
【シリーズ中に亡くなったプロモーター】
※吉原 功(国際プロレスを経て新日に加わった直後だった)
【欠場】
※ロン・ミラー(不参加)
※マスクド・スーパースター(右膝?を負傷し途中帰国)
※キングコング・バンディ(謎の途中帰国)
【出来事】
※シリーズ全般的に観客の不入り
※このシリーズを持ってWWFと絶縁(ホーガンは新日最後のシリーズとなる)
《④》1986年『 86 IWGPチャンピオン・シリーズ』
【シリーズ中に亡くなったプロモーター】
※
【欠場】
※ドス・カラス(3戦参戦したのみで右腕を怪我して途中帰国)
※藤波辰巳(vs前田戦の怪我の影響にて終盤戦欠場)
【出来事】
※猪木がスキャンダル発覚⇨坊主頭に
※ケリー・フォン・エリックが参加し帰国した直後に交通事故に遭って両足首切断
※アンドレ・ザ・ジャイアントが新日最後のシリーズとなる
《⑤》1987年『 87 IWGPチャンピオン・シリーズ』
【シリーズ中に亡くなったプロモーター】
※フランシスコ・フローレス氏(UWA代表)
【欠場】
※前田 日明(大流血&助骨骨折にて途中欠場)
※藤波 辰巳(左足けい骨剥離骨折にて途中欠場)
【出来事】
※
《⑥》1988年 『 88 IWGPチャンピオン・シリーズ 』
【シリーズ中に亡くなったプロモーター】
【欠場】
※藤波 辰巳(左足首捻挫にて一時欠場)
※カネック&ドクトル・ワグナーJr.がビザ取得の関係で少し遅れて途中参戦
【出来事】
※3年振りに新日に復帰参戦したアドリアン・アドニスが帰国直後に交通事故に遭って死亡。
※猪木、全シリーズ欠場。
大雑把に挙げさせて頂きますと上記の通りでしょうか。
うがった見方をして…呪いなんかではなく、呪いに見せかけて他殺されたり何か誰かを仕込んで意図的に選手が怪我したりでもしたのでは…などとも考えられなくもないでしょうが、その可能性は極めて薄いでしょうね。。。
いやぁ 本当に怖いですね。
ちなみにカネックはIWGPシリーズには83年&85年&88年の3回参加してるわけですが、83年と85年は共に来日直前にUWA世界ヘビー級王座から転落しての来日となってるんですよ。
逆に88年は来日直前に王座奪回してますけども。
83年と85年の来日直前の王座転落の内幕は、団体側がトップ・スターに1か月間もの期間を留守にされると商売あがったりになるので王者から転落させてベルトを置いてってもらい、その間 別の選手を使ってタイトル戦をやれる……という理由で王座転落してから来日するのがお決まりだったらしいですけども、とくに85年はスコルピオを相手にベルトを明け渡してるあたりうなづけますよね。
ちなみに83年の時は相手は藤波でした。
1か月前の4.3蔵前にて長州戦に敗れた直後の傷心の藤波がIWGPを無断欠場して無断でメヒコへ行き、IWGP参加直前にカネックから王座を奪ってIWGPの価値を落としてフロントが激怒したと報じられてましたが、
その4.3蔵前決戦の前の月刊プロレス誌のメキシコ通信のコーナーにグラン浜田が4月下旬から藤波がサーキットに入ることを語っているので、長州に敗れて傷心しフロントに無断でメキシコに行きカネックから王座を奪ったというのも やっぱりアングルであり、
カネックが83年&85年にIWGP参加直前に王座転落したというのも いわゆるIWGPの呪いではなく 単なるアングルだったわけでした。